ブログ「いらけれ」

ブログ記事の、2019年1月1日分のフォーマットを作った。もう、来年がすぐそこなのだ。少し意識し始める。今年に起きたすべてのことについて、長い文章を書きたいという気持ちもあるけれど、僕に長い文章を書く胆力はもうなかった。いずれは、長いものも書けたらいいけど。

Amazonで1000円の腕時計が、文字盤とベルトを繋ぐところの金具が壊れて、買ってまだ5か月くらいだったので、大きなショックを受けた。時計部分は保証もあったんだけど、ベルトは何もないらしい。ああ。しかし、寝ても覚めても、風呂でも身に着けていたので、しょうがないのかもしれない。西友に買いに行ったけど、腕時計は見つからなかった。神が、時間を気にせずに過ごせと言っているのだと思って、そうやって生きてみよう。

あれだなあと思った話。こんなに歩いているのに、なぜ痩せないってこう、考えていたわけですが、ああなるほど、気持ちを入れて文章を書くときに、コーヒー飲んだり、ミックスナッツを食ったりしてるからだなあって分かったわけ。飲食してないと書けないようになってしまいましてね。でね、ナッツに落花糖混ぜたり、チョコでコーティングされた柿の種を混ぜたりしてきたわけ。ナッツだけじゃ味気ないからさあ。これが合うんだなあ、それで止まらなくなっちゃう。それで、今度はドライフルーツを混ぜてみて、これもイケるなあ、発明だなあと思ってたんだけど、今日西友に行ったら、ミックスナッツとドライフルーツが一緒にパックされたものが売っていて……ああ、調子に乗っていたなあと思った。

ビックリした話。うちにあった菓子パンがさあ、たぶんクリームパンだったと思うんだけど、パンにしては結構前から置いてあるなあって気になって、小腹も空いていたし、もし賞味期限がギリギリとかだったら食べてしまおうかなって夜中に、天井の電気ではなく、部屋の隅の小さなライトで、包装に書かれた日付の表示を目を凝らして見てみると、26日だった(これ24日のことなんだけど)から、ああ、もう少し大丈夫だな……って、そこに2がなくて、つまり12月ではなくて1月26日までが賞味期限で、手に持っているこれはクリームパンではなくて、防腐剤を焼いたものなのかなと思った。

スーパーマーケットから出たとき、左下から右上にかけて斜めに飛行機雲が、17時の赤みを帯びた空に、視界の外から始まって、視界の外に向かって伸びて、あのマンションから駅舎まで、こうして引かれた一本の線によって、一瞬の内に人生が特別になった。


American Pleasure Club – “this is heaven & id die for it" (Official Audio)

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ブログ「いらけれ」

2018年12月18日に、渋谷らくご「しゃべっちゃいなよ」を見てきた。一年間行われてきたネタおろし会の傑作選であり、そのなかから大賞を決める回だ。僕は、2015年の第一回から3年連続で見てきて、今年で4年連続となった。毎年、奇跡が起こる回だし、なんなら、その年一番声を出して笑うのが、この回かもしれない。それは今年もそうで、だから皆さん見に行かれるといいと思いますよ、来年の12月には。チケットは争奪戦だけど。



「渋谷らくご大賞 おもしろいい二つ目賞」を受賞した柳亭市童さんと瀧川鯉八さん。市童さんは、今年高座を見ることができてよかった。「夢金」すごかったなあ。同年代ということで、応援していきたい落語家さんの一人だ。鯉八さんは、今年この日の高座まで見ることができなくて悔しかった。ラジオだけじゃなくて、本業の方も追いかけていきたい。ああ、帰りに「大成金」のチケットを売っていらしたのだが、「ちゃおら~です」と言うべきだった、言うべきだったことに今、気付いた。相変わらずぼんやりしている。


「ペラペラ王国」で「創作大賞」を受賞をした笑福亭羽光さんと、それを囲む4名。それぞれに特色があり、ワールドを持っている人同士の争いで、「創作落語」と言いながらも、まったく違う山を登っている人たちなのだなあと、そりゃ審査は難航するだろうなあと思った。しかし、なかでもこの日の羽光さんの高座は、やはり飛びぬけていたように感じられた。落語でありながらメタ構造を用いて、しかし、複雑な構造がちゃんと理解できて、物語が面白いだけではなく、さらに語られる言葉の、細かいツッコミまで笑えるという。また、おじいさんと孫が、あることに気づく(ある可能性に言及する)途中の展開にはぞくぞく。そこからつながるオチも見事で、本当に素晴らしかった。

昇羊さんは、以前現代を舞台とした新作を見たことがあったので、創作古典でのチャレンジに驚いた。そしてその完成度が非常に高かったので、不利なトップバッターながら大賞を感じさせる高座だった。仕草だけで、あの爆笑を巻き起こすのだから!

きく麿師匠は、シブラクの生配信で見た「だし昆布」に続いて、この日もすごかった。笑い死ぬかと思った。衝撃を受けたという意味では一番。だってだって…と分析して語りだすと、1時間ぐらいかかるような(実際1時間ぐらい友人と話しました笑)、この体験を反芻しながら、これを自分の創作に取り入れたい!(無理!)

鯉八さんは、いつもの世界観炸裂。小さな心の動き、機微を二人の会話で増幅させて、コミカルに描くのがすごい。「都のジロー」にも、通じるところがあるような。ただ、羽光さんが下ネタを封印して大賞だったように、チャレンジが受け入れられやすい場なので、むしろ鯉八さんらしくない創作の方が、コンテスト的には有利だったのかもしれないなと思った。

昇々さんも、同じ理由で不利だったように思う。また、最後という順番も、客としての体力的に笑い疲れていたところが(少なくとも僕には)あった。でも、それでもあの爆笑ですもの。高座での動きを含めた生の魅力や、その面白さは、もう誰もが認めるところ。僕は、昇々さんの作る落語の、登場人物の人間らしさが大好き。勝手ながら、この先も新しい落語を作り続けてもらいたいと思う。

いや~、やっぱり「しゃべっちゃいなよ」は最高だし、そのクオリティと、この先の未来を担保しているのは、なんといっても彦いち師匠なのではないだろうか。だって、一番ムチャクチャな話をしてるんだもの!大将が、一番破天荒というところに勇気をもらい、希望を感じましたとさ。おしまい。

ブログ「いらけれ」

書く人間の生活。書き始めた人間の生活は、書かなかったころには分からなかった。書かない人間には、書く人間の生活が分からない。書くことが中心にある生活。それは例えば、初めて「自転車に乗る」ということの感覚を掴み、しかし、そこで止まり、そこから降りるための手段を持たない少年のような、回転し続ける足。少しずつスピードを出せるようになって、公園の芝生の上ならばどこへでも行けるようになって、安定して進み続けているものの、夕暮れになれば、転んで終わることを運命付けられている。転ぶまで、走り続ける。自転車に乗れない人間には、さっぱり分からない例え。

この二日くらいで、『少年ハリウッド』を2期の終わり、26話まですべて見た。10時間ほどだろうか、本当に楽しかった。少ハリについては、僕はまったくの当事者であり、冷静に見ることも語ることもできない。「スパイシーフローラルフルーティー体育館」「ごぼう&バンバンジー」のように、いくらでも小ネタを書き連ねることはできるけれど、そういうことがしたい訳じゃないし。このアニメを見ると、クリスマスが特別なもののように感じるから不思議だ。年末に芝浜を聞くように、クリスマスには少ハリを見たいものだ。
もし続きを作るのならば、彼らはネットの生配信をしなければならないだろうし、SNSも、もっと活用しなければならないだろう。放送当時はあれでよかったアイドル事情とも、今では少し変わってしまったのだなあと思った。また、続きということならば、本格的な成功と、本当の終わりを描くことになるだろう。だからそれは、ぜひ見たいなあと思う(もちろん、頭の片隅にはTWICEのこともある)。
成功に伴い、劇的に忙しくなることで、メンバーの健康問題と労働問題は浮かび上がってくるだろし、上り調子だった人気が落ちていくということも経験するだろうし、人間のように、グループにだって、死は必ず訪れる……。だから、あの素晴らしい、パンチラインだらけの、緩急の付いた脚本で、その芯の通った構成で、これらの問題にアプローチしてほしいなあと。それを見ることができたら、これから先の人生に、どれだけ支えとなることだろうか。だから死ぬまで、続きを諦めないぞ、と思ったし、なんなら「俺が有名になって、一押しアニメとして紹介してやるぞ!」とまで思った。それは無理だけど。でも、日本にいるからこそ楽しめる部分もあるのに、多くの日本人が見ていないというのは、やっぱり損してると思うし……というか、26話の完全版上映、見に行くべきなのかなあ。

クリスマスだろうとなんだろうと、関係なく一人歩く僕が並木道を抜けて、通行禁止で柵の付けられた歩道橋の辺りで、彼女とすれ違ったんだ。赤系統のニット帽で、自転車に乗って、僕は「あ、サンタ帽」と思ったけど、そういうつもりだったのかどうかは分からない。ガン見してたら目が合って、ああ、恋というのは、こういうときに始まるのかもしれない。


Young the Giant: I Got (In The Open)

I got buried
No it won’t be long before I rise in

ブログ「いらけれ」

『少年ハリウッド』7話で、テッシーが言っていたことが、完全に忘れていたけれどJYP(TWICEの事務所です)の教え(謙虚な気持ちを忘れない)とまったく同じで、自分の中で一本芯が通ったというか、自分が好きなものの核心がそこにあるのだろうことが分かった。
というか、TWICEを好きになったのは、恐らくこのアニメを見ていたからで、そしてTWICEを好きになったことで、このアニメをより深いところで理解できていると思う。好循環。しかし、素晴らしいアニメを見ると、生きる気力がもらえるので、もっとアニメを見ていくべきだと思った。心のために。

フリーセルが、日に日に上手くなっている。毎日1時間ぐらいやってるからな。それで、なんになるんだろう、この技術。すべての技術に意味があるわけではないということ。無意味な修練というものがある。
一方で、将棋がまったく上手くならないという現実がある。毎日1時間ぐらいやってるのにな。こちらだって、上手くなっても意味がないけれど、どれだけやっても上達すらしないこともある。真理。

野菜炒め&鶏もも肉のソテーリベンジをやることにした。前回より長めにフライパンの上で焼いたので、しっかりと火が入っていた。そのかわり15分くらい暇だったので、一緒に買っていたクリームチーズのタルトとコーヒーを飲んでいた。シバハマラジオの金曜日を聞きながら、小さな黒い折り畳み式の椅子に腰かけて、ときどき鶏肉の様子を伺った。この時間に、このくたびれた人生のすべてが詰まっているような気がした。インターネットの文字をなぞって、弱火で炒めた野菜シャキシャキで、フライパンに当たらないほどの火で焼いたもも肉はジューシーだったし、一緒にウイスキーを飲んでいい気持ちになったけど、あの過去のあのくたびれた時間が、頭から離れなかった。うなだれた姿の僕が、これまでも、この先もずっと、そこにいるのだと思った。

図書館で借りていた『面白くて眠れなくなる社会学』を、明日返さなきゃと深夜に読んでいたら眠ってしまった(これが言いたかっただけ)。橋爪大三郎先生の本も読んだことあるし、初学者向けということもあって、あまり知らない話もないなあって、目を開けていられなかった。自分が既に、かなり詳しいのだということは、実は自分では意外と分からないことだったりして。もう入門ではなくて、少し前に進んでもいいのかなって思った。返すついでに、まったく見たことも聞いたこともなかった『もうひとつの愛を哲学する』という本を借りてきた。最近の本、当たっていないので、これは面白いといいなあ。


髭「TOMATO」

僕らしい視点や
僕らしい角度のアイロニー
それから…