ブログ「いらけれ」

※書きえないものを、書くということから はやくも第三回だぜ!次回あたりから方向性を変えていこうかなと考え中。

保坂和志の『未明の闘争』の冒頭はこんなふうに始まる。以下引用。

西武百貨店の手前にある「ビックリガードの五叉路」と呼ばれているところで、私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた。

どのように書いてもいいのだ。読む者を”喚起”さえすれば。
読む者の中に生成されたものは、書かれてはいない。しかし、書かれていたからこそ生成された。
読む者を”喚起”する……そのように書くにはどうすればいいか。

ブログ「いらけれ」

※書きえないものを、書くということから 早くもねたが尽きた……という訳ではありません。

では、いかにして書くのか。書くことによってでは書けないものを書く方法……。
とにかく、書き進めてみよう。最もいけないのは書かないことだから。書かれなければ、何もない。文字通り。

ブログ「いらけれ」

書きえないものを、書くということについてよく考える。明らかな影響を受けているのだが、それは重要ではない。

私の思う書きえないものとは、今まで誰も書かなかった、書きえなかった突飛なこと、奇抜なことでは決してない。それは、書かれたその瞬間から、書きえないものではなくなってしまうからだ。書きえないものは、書けない。これは、言葉遊びではない。

※この記事は随時加筆していきます。