ブログ「いらけれ」

なぜ○○が必要なのか。
それは誰かに、何かを書かせて、ものを作るために。その過程で、完成度を上げる一助となるために。そして、商品として完成させるために。
やりたいようにやり、出したいように出し、売りたいように売っていては、うまくいくわけがない。
では、そこで要求される能力とは何か。

ブログ「いらけれ」

○○に入るのはアレでございます。さて、アレとはなんでしょう?……つっても、すぐ分かるでしょうが。
(原文では、もう少し長い言葉で意味を限定している部分もありました。が、ばっさり切ってます。)


「○○」は、書物、映像、音声などに関連して使われることが多い言葉だ。
映像や音楽、その他の分野で使用されるときには、一つの物を完成させるために、切ったり貼ったり、別のものを繋げたり、足りない部分を見つけ、さらに必要な要素を示すことを意味しているように思う。
しかし、○○の場合に関しては、直接的にそうした行為をすること、役割として持つということは少ないだろう。
○○をする者が、書かれたものを切り貼りするわけではないのだから。だが、そこには共通した面があるのではないか。

ブログ「いらけれ」


書いていたものが、つまんねえなって思った。暇つぶしに書いた。書いてみないと分からない。筋を考えて書き始めるわけではないから、転がるか否かが大事。捨てることに躊躇はない。考えて起こすことはない、書きながら。考えてから書くと、下手さにうんざりする。イメージは後からつけていく。自分に語る法螺話。飽きてくる、退屈だから事を起こす。架空の人物と、実在の人物で「どうしているのか」と思う気持ちに線は引けないのではないか。意外なつながりに、自分でも驚く。そういうときは高揚する。時系列順ではなく、ランダムに頭の中にある、だから出てくる。自分を信用していないから、自分の考えたことはろくでもないと思っている。エンディングにはなかなか気づかない。終わりっぽいと思うと、続けてもそうなってしまうから終わる。過去作と似ているかどうかには本当に興味がなく、その時面白がれているかどうかが問題。見たは見られているを包んでいる、それを厳密に書きたいだけ。見える見えないは、もっとあやふやではないか。因果は逆向きにしかつなげない。

ブログ「いらけれ」

現実で「もっと言い方があるだろ」って言われるときは、しおらしくしていろってことだったりするけど、とにかく、ほとんどのこと、あるいは人は、内容ではなく言い方が大事なのだ。

あえて印象で大掴みにするなら、定型は(紋切といってもいい)、麻雀の役牌みたいな感じだ。それがあれば上がれちゃう。……だから、それで良いといえなくもない。

良いなら良いんだけど、もうちょっと注意した方がいい、すっと入る言葉こそ怪しいのだから。