ブログ「いらけれ」

現実は複雑で分かりにくいから、批評と称されているようなものが、必要とされているのだろう、おそらく。複雑怪奇な現実を分解して、分析して、分かりやすい形に再構成して、その見通しをよくする。そういう意味で、とても批評的な対話だったなあと、改めて振り返るなかで思った。また再構成する際には、どう表現するかという部分で、かなり芸が問われると思っているのだが、あの日の二人は、その見せ方のところも素晴らしくて、かっこよかったよ。

〇芸人という"向こう側"にいたはずの人たちは、マイクの前でスーツを着るようになり、私たちの社会と地続きの存在になった。徒弟制度から解放され、NSCのような学校が整備されていく。どんどんと開かれてきた歴史が解説された。しかし、だ。芸能というものは、どうしても闇を抱き込んでしまうだろう。私たちは、"向こう側"にいる人を見たいと欲望してしまうから。闇の世界と光の世界、その接地面に芸人たちは立たされている。ああ、吉本のことを考え始めると、頭が痛くなってくる。芸人たちの、地位向上の一翼を担ってきたのは間違いないのだろう。しかし、ある種の闇が魅力を生み出す源泉となってしまう以上、完全にクリーンになることは難しいのではないか。

〇ジャニーズの問題を考えなければならない。SMAPメンバーの身に起こったことを思い出さなければならない。カメラや舞台の外で、彼らが晒されていた事態について、思いをはせなければならない。誰かの苦しみや痛みの上に、エンターテイメントが成立しているのだとしたら、さらに言えば、そうした苦しみを与える構造を作りだしているのが、"向こう側"を望む観客で、そうした痛みが裏にある表現だからこそ魅了されているのだとしたら……。

〇SMAPというグループについて、彼らは何なのか、外国の人には分からないだろうという話も興味深かった。松本的(?)に整備された世界のなかで、歌やダンスではなくバラエティに活路を見出し、身近なあんちゃん的な存在から、国民的なグループにまでなった、あまりにもドメスティックな5人組(森君……)。ジャニーズも吉本も、どうしようもなくドメスティックな面があって、だからこそ、グローバルに開かれていく社会と、ぶつかり合ってしまっているのかなとも思った。コーポレートガバナンスやコンプライアンスが求められる事務所は、そもそも、普通の企業と同じ基準で考えていいものなのだろうか。"向こう側"の人々を束ねているのだと考えれば……。吉本の会見で用いられ、ジャニーズの所属タレントにも使われる「ファミリー」という言葉が、とても示唆的だ。もちろん、この時代状況で「ファミリー」にあぐらをかき続けていて、良いわけないのだが。

……などなど、これらはすべて、二人のトークを聞いて思い付いたことです、ですが、そのまま発言されていたわけではありません。記憶をもとに書いているので、正確じゃない点も多いでしょうが、それはすべて私の責任です。長くなったので、ひとつながりの感想はここで終わりますが、これからも、本とイベントに触れたことで得たものを、考え続けていきたいと思います(具体的に言えば明日も、二人が話していたことを書きます)。

あやふやなハミングで 歌を歌ってみました 叫びました

奥田民生「CUSTOM」

ブログ「いらけれ」

こんな風に書いて、とても楽しい。すべては覚えていないとしても、それでも書いていないことはあって、トーク開始前にボイスレコーダーの電源を入れた矢野さんに、今話題になっている"テープ回す"という言葉を使ってボケたマキタさんのこととか。細かいディティールは、どうしてもこぼれていってしまう。世界とはそういうものだけど、とても悲しい。

〇マキタさんの話の中で、一番印象に残ったのは、山梨にいた頃のあの自分のような誰か(他のミュージシャンの音楽の特徴を、ラジオのギター講座でモノマネしていた長渕剛に、強い衝撃を受けたような)には、まだ届いていない、届くことができていないという実感を、繰り返し言葉にしていたことだった。また、都会と比べた時の、地方の"意識の低さ"についても言及していた。"東京の田舎"に住んでいる僕には、地方のリアリティは分からない。けれど、ラジオにハマるとか、そういうきっかけがなければ僕も、意識が低いままだっただろうなという感覚はあって、そういう端緒の数の差なのかなと思った。事実、マキタさんはマキタさんになったわけだし。もちろんマキタさんも、最近のことは分からないというようなことを言っていたけど、インターネット、スマートフォン、SNSの登場・普及以降の実情は、また変わってきているのかなあとも思う。

〇今、杉田俊介さんの松本人志論(「松本人志についてのノート」)が話題になっているけど、この日のトークの中でも、彼の存在は当然のように議題に上がっていた。彼が、『IPPONグランプリ』に代表されるような、センスの優劣が勝敗を決めるゲームに、不確かな空気をいかに読むかというルールに、お笑いを(そして社会を)作り変え、"闇営業"に呼ばれないような、(マキタさんの言葉を借りるなら)座持ちの悪い芸人が世に出るフィールドを整備したというのは、よく言われることだ。しかし彼は、(マキタさんが指摘していたように)あの尼崎出身の叩き上げである。また、人前で上手くしゃべれなかったり、噛んでしまったりしたら、「後ろに回れ!」と言われてしまうような、ヤンキーたちのリアリティをマキタさんが語っていたが、「噛んだ」という言葉を広めた張本人でもある。つまり、ある種のヤンキー性を見出すこともできる、とても面白い存在なのだ。面白い存在だからこそ、お笑いに興味がない人の「最近つまらなくなった」という印象のツイートではなく、ちゃんと向き合った人の、しっかりとした論評が読みたいし、もっと書かれるべきだと思う。

さらに続くことになるとはなあ。明日は、もう少し踏み込んだことを書こう。ここではひとまず、「8月もよろしく」と挨拶をしておく。

ブログ「いらけれ」

結局、このイベントが終わった後に、頭を使い過ぎて頭が痛くなってしまったわけだから、それに、話された言葉はもう消えてしまっていて、残っているのは記憶だけなわけだから、すべての詳細を細かく書こうとせず、肩の力を抜いて、とりとめなく書いていこう。

〇音楽について、勉強するところから始めたという矢野さんが、より現場的なものへ開かれていくことに、大きな影響を与えたであろうエピソードが興味深かった。矢野さんのDJプレイについて、アーティスト気取りであることを見抜いた先輩の指摘と、やっているのは「水商売なんだ」という言葉。気軽に遊びに来ている女の子に、それでもシブイ選曲をぶつけて、帰られてしまった経験などから、これではいけないと気付いていく過程。でも、全部合わせるのではなく、半分合わせて、半分ずらすのが大切なのではないかという結論は、先生でもある矢野さんらしいのかなとも思ったし、心に残った。

〇やはり教育の話になっていったわけだが、一番盛り上がったのは、「先生はいきなり番組を持たされる、しかも帯で」というところだったように記憶している。トークライブでは難しいけど、「学校だったら毎日○○人"動員"できる」という話とか笑ったなあ。「教壇はステージだ」というようなことも、矢野さんは言っていたけれど、『文化系トークラジオLife』で、チャーリーも同じようなこと言っていたよなあって思い出した。

〇矢野さんのブログタイトルは「矢野利裕のEdutainment」だし、例えば、そのなかの「ヒップホップはパンクではなく、ましてやテクノでもない。――教員の立場から読んだ、B.I.G. JOE『監獄ラッパー』(リットー・ミュージック)」を読めば、もっと色んなことが分かるはずだ。有名バラエティ番組のディレクターが書いている良いMCの条件が、教職員の教わる内容に似ているという点などは、実際に現場に出ないと分からないことだから、非常に面白かった。良いとされているバラエティ番組のように、みんなに出番が、見せ場が用意されている教室は、確かに、ある意味では不自由なのだろうと思えた。しかし矢野さんは、「そのおかげで発言できる人もいる」ということも、忘れず言い添えていた。

〇学校教育に参入しつつあるLDHの話にもなった。エグザイルらの音楽に乗り、ダンスを教わって細かくリズムを取れるようになれば、自己表現が上手にできるようになる子も出てくるだろう。それは間違いない。テクニックが人を自由にする面がある。だが、もちろんそれは"教えられた自由"でしかないことも、忘れてはいけない。

<続く>

ブログ「いらけれ」

いきなりイベントの感想を書けずに、青山ブックセンターの話をしてしまう。渋谷駅からは結構な距離があって、坂を下ったり、あるいは上ったりして歩いていたら、台風の影響か風は強かったけれど、かなり汗をかいてしまった。途中まで、グーグルマップの案内通りに進んでいたのだが、先の方に台本のようなものを持って何かをしている一団がいたので、手前で角を曲がったら、国連大学の敷地内に入っていたらしく、何かの催しの片付けをしている人たちに、怪訝な顔をされた。

見つけた看板を信じて進む。長い下りエスカレーターの先に目的地はあった。これで道は覚えたから、またトークイベントに来ようというときでも安心だな。イベント開始までは時間があったので本を見る。「青山ブックセンター書店員 山下優さんに聞く、本が売れる店作り」にある通りの、こだわりの伝わる棚で好感を持つ。いいなー。

そうやって店内をウロウロしていたとき、「STAFF ONLY」の向こうから結構ガタイの良い人が出てきて、うおっと思ったのが矢野さんだと、その時は確信が持てなかったのだが、トークのときに同じ服だったので、ああやっぱりと思った。マキタさんのブログに載せられた画像(「軽薄の日」)でも、その日の姿は確認できるけど、短パンで膝をかくマキタさんは、本当に完全無欠のおじさんだった。味しかなかった。

その存在感が、一挙手一投足が伝えることが絶対にあって、それは、あの本に書かれていたことでもあったはずだ。だから、行かなかったあなたは、本当にもったいないことをしたし、僕は得をした。なんたって、20時終了という予定を大幅にオーバーして、21時近くまであの面白いトークが続いたのだから。マジでお得だった。

矢野さんの来ていた許可局Tシャツ、僕も同じの持っていたから、着ていけばよかったなあ……って、相変わらず詳しい内容に入っていけない日記。イベントだから言える的な話も多かったし、多岐にわたる話題が取りあげられていたからなあ、難しいなあ(実は、僕のお友だちもイベントに来ていて、帰り道ではめちゃくちゃ喋ったんだけどね。トークを聞いてない人に、共有するのが大変っていうのもあるよね)。

僕が書けないでいる本当の理由が、僕には分かっている。すべての事柄について、二個ずつ書かなければならないからだ。誰かの苦しみは、世界の闇は、魅力の源泉にもなり得るということ。テクニックによって得る自由と不自由。アーティスト性と水商売性。明日こそは、その話をする。と、今日は予告に逃げて終わろう。