ブログ「いらけれ」

ここのところ観客席に座っていて、はっきりと分かったことがあって、それは、僕はもう、フリとオチとか、伏線回収とか、どうでもいいんだっていう自分の気持ちだ。頭で考えれば作れるものには、ちっとも興味を持てなくなってしまった。
それでも僕が、そこに座る理由は、目の前で展開される何かに、心が引っ張られるからだ。小さな視線の動き、小さな身体の震え、小さな発言のエラーが、僕に訴えかけることによって生まれる、感情とか情動とか情緒とか呼ばれるもの。こうした影響力は、そこに人がいる方が強いように思う。だから、落語や演劇を見たいと思って、見ているのだと思う。

『放課後さいころ倶楽部』を、ボードゲームにハマりつつあるから、僕は見た。見るつもりで、ニコニコ生放送のタイムシフト予約をして、そのまま忘れていたから、ギャオで見た。第二話まで見た。
行くとことまで行ったアニメーションは、何度も見たことがあるようなキャラクターが、何度も見たことがあるような物語を演じていて、二週して笑った。アナログゲームが題材になっているところ以外、新しいものは何一つ無かったけれど、これはこれで良いものだなと、微温的な僕はとても鷹揚な人間だから。
ここまでは、ゲームの面白さを伝えるというよりも、やっぱり、キャラ同士のやり取りを見せていく感じだったけど、この先はどうなっていくんだろう。視聴を継続するつもりだ。
ギャオで見たから、同じクールで『真・中華一番!』が始まっていることを知った。僕は、とても久しぶりに、『中華一番!』のアニメを見ていたことを思い出した。このきっかけが無ければ、死ぬまで思い出さなかっただろう。インターネットを検索すれば、OP・ED集というものが転がっていて、半分ぐらい懐かしかった。あとの半分ぐらいは、こうだったけかなあという疑いだった。
物語の途中から第一話が始まるという性質上、しょうがないとはいえ、すべてがあまりにも唐突だった。そして、全編を通して、細部が欠けているダイジェストを見せられているようだった。興味本位でいいから、あなたに見てほしい。時間を無駄遣いすることにはなるかもしれないけど、あの映像が問い掛けるものは大きいし、映像や物語といったものの原理について、考えさせられるのは間違いないから。

あの、たまにですけど、午前0時から、この日記を更新している様子を、ユーチューブで流すことにしたんで、良かったら見に来てください。とりあえず、明日はやる予定で、配信は、この日記の一番上で、見られるようにしています(ちなみに、今日の日記の更新中も配信していたんだぞ)。『真・中華一番!』を見ちゃうぐらい、お暇な方はぜひ。

誰でも詩人になれる。笑われる勇気さえ持てば。死ぬまで死にたいと思って生きるんだと、ふとそう思って、有り体に言えば引いた。こんなにも苦しいことって、あっていいのだろうか。人生が旅なのだとしたら、まったくもって路銀が足りない。

ブログ「いらけれ」

目覚めた瞬間に不機嫌というのは、とても嫌なものだね。そう思いながら目覚めた。僕の気分を害したのは、空気の冷たさだった。今日の朝は、本当に寒かった。夏の気分のまま、厚みの無いタオルケットをかけていた早朝に、半分眠りながらも、寒さに耐えかねて、薄手の布の微かな温みに、必死に包まろうとしたことを覚えている。
あの台風が通過してからこちら、季節がガラッと変わってしまったみたいだ。まだ衣替えを終えてないから、部屋で着る長袖の上着も、長ズボンも出していないというのに。そういえば、ここ数日ではっきりと、キンモクセイの香りを感じるようにもなった。まあ、これに関しては、キンモクセイが咲いてないか、気にしながら歩いているからかもしれないけれど。

手渡されたのは未来だと思った。ユーロスペースの、道路から遠い方の出口から出てしまったのは、充実感を噛みしめながら、見たものを反芻することに気を取られて、一つ目のドアをふらふらと通りすぎてしまったからだ。頑張って生きていると、たまにご褒美がもらえる。その実感が身体中に一杯で、とても良い気分だったことが影響したのかは分からないが、ポケットティッシュだって通り過ぎる僕が、出口を出てすぐ、そこに立っていた男性からビラを受け取った。それは、「お嬢ちゃん」という映画についてのビラだった。映画のタイトルを、僕は聞いたことがあった。

連休明けの平日だから仕方がないとはいえ、観客が少なかったのが、とても残念に思える会だった。小せん・小八だぞと、何をやっているんだと、世の人々を説教して回りたいぐらいだ。「盃の殿様」では、「花魁が目の奥で笑った」という説明のところで、ばっちり見つめ合ってしまい照れた。「猫の災難」では、枕からのシームレスな導入で痺れた。両者の語り口について、ことさらに何かを語るつもりはない。素晴らしかったのは言うまでもないことだし、その素晴らしさは聞けば分かることだ。だから僕は、「あなたも聞くべきだ」とだけ書けば、それでいいのだろう。

僕に「お嬢ちゃん」を教えてくれた人から連絡があって、心が揺れる話が書いてある。広く公開している以上、どんな可能性もあり得るということは、心得ていたつもりだったが、本当に本当となると、やはり驚いてしまう。素人の戯言からは出られないとしても、魂は削り続けなければならないと思った。

渋谷の街は、いつも通りの混雑ぶりだった。偶然を受け入れるのならば、次は映画を見に行かなければならないのだろう。未来は書き換えられたし、僕が書き換える。そう思いながら、渋谷を離れた。

ブログ「いらけれ」

コツコツやる、ということについて話そう。何事も、一足飛びにゴールへと辿り着くことはできないのだから。日記の更新だって、コツコツやってきたように、いろんなことをコツコツと始めている。その一つが、生配信だ。

昨日の日記の、「<記事作成中の様子(ユーチューブ)>」のリンク先を、確認していただけただろうか。それは、文章を書いている画面の動画だ。ユーチューブのライブ配信って、アカウントを持っていたら、すぐに始められるのかと思っていた。実際は、ライブ配信機能を有効にするだけでも、24時間待たなければならなかった。そんな基本的な事情も、やってみるまでは知らなかったことだ。
「OBS」というソフトをダウンロードして、先人の知恵を参考にしながら、さまざまな設定をする。画面を切り取って、一部だけが映るようにする。準備中の画面も作って、放送中のものと入れ替えられるようになった。それらが、ユーチューブのライブ配信に流れるように、番組を設定する。一通りのことができるようになった。使ってはいないけれど、マイクに向かってしゃべった音声を、放送に乗せることもできるようになった。生ラジオもできる。
これが、お仕事につながらないだろうか。つながらないのは分かっているが、生配信が意外と簡単なことを知れたのは良かった。見識が深まった。視野が広がった。深さと広さは、未来の自分を救ってくれるはずだ。

こちらを優先したせいで、ラジオ番組のサイト作りが遅れてしまっている。まあ、そっちは経験があるから、一日もあれば充分。しかし、その一日を使って、電車に乗って知らない街に行ったり、流行りの映画を見たり、何もしなかったりしたい。したいことで溢れているから、電車が駅を離れた後は、『みんなのわがまま入門』を読んでいた。ありがちな疑問や、繰り返されがちな議論の答えがサラッと書いてあって、これは、"みんなの"読むべき本だなと思った。社会について何か言うのは、これを読んでからにしてほしい。決して難解な本ではないのだから。
読んでいる間は、さっそくアップルミュージックで一曲だけダウンロードした「さらしもの(feat. PUNPEE)」を、ずっと聞いていた。時々、口を一緒に動かしてしまった。「さらしものだよ ばかのうた」から始まるパートを、カラオケで歌いたい。一刻も早く。

そこそこ混んでいる帰りの電車で、隣に立っていたおじさんが、将棋ウォーズに勤しんでいて、僕もやりたかったんだけど、まず、おじさんに見られたら気まずいし、並んでやっているところを他の乗客に見られるのも何か嫌だしで、我慢してしまった。我慢ならなくなって、一駅前で降りて、閉園して車が入れなくなっている真っ暗な、まったく人通りのない墓地で、歩きスマホで将棋を指した。おかげで、全然怖くなかった。将棋は負けた。ぐう。

明日には、どこへ行っていたのかを書くだろう。そして、その後に起こったあんなことや、こんなことも。お楽しみにとは言えないが、明日も読んでくれたら嬉しい。

【更新中の様子を生放送していたものの録画(ユーチューブ)】

ブログ「いらけれ」

こうすれば良かったとか、ああするべきだったというような記憶に、やけに苦しめられるぐらいなら、前だけを見ていたい。過去は決まっていて、未来しか動かせないからだ。しかし、あまりにも突然、大きく事が動き出すと、流石に心が付いていけなくて戸惑う。戸惑いのなかにいる。

まったく関係のない話をしよう。そうやって、都度都度思考をさっぱりさせていこう。幹線道路から一本入った裏道を歩いていたら空き地があって、その前に大きな看板が据え付けられていた。カラフルな配色の背景の上に、「この物件に関するお問い合わせはこちら」と、でっかい文字で書かれていた。馬鹿者には見えない家なのかなって思った。

およそ実家というものは、見る気つもりのない番組が、リビングのテレビに映っているものである。そういう実感を噛みしめつつ、出かける準備のために右往左往していたら、ナレーションをする水樹奈々の声が聞こえてきた。
僕は、将棋や野球、サッカーがとても好きだから、話されている声から、解説しているのが誰かを当てるのは造作もないことで、「聞き解説」検定があれば、準一級ぐらいは軽々合格してしまうことだろう。
でも、僕はオタクではないから、声優という仕事に就いている人々のことをよく知らないし、当然、聞き分けられる自信もない。それなのに、一声聞いただけで水樹奈々だと分かった。そのことに、とても驚いた。
人間というものは、思いも寄らない能力を、思い掛けずに獲得していることがあり、その上、勝手に習熟していることがある。意志とは無関係にできることが増えるというのは、ある面ではポジティブな現象なのだろう。でも、得ようとして得たものでは無い何かは、なんだか不気味だ。

スコットランド戦も見ないで遊ぶために入ったカラオケ屋は満室で、ロビーで待ちながら、ユーチューブで違法に試合を生放送してはいなかったから、持ち込み可能の文字を見て買い込んだお菓子を食べることもできずに、ただそこにいた。部屋が空けばこっちのもので、新しく買った(のは僕ではないが)「ガイスター」で遊んだり、持って行った(のは僕だ)「カルカソンヌ」で街を作ったり、「バトルライン」でハイレベルな攻防を繰り広げたりしていた(戦術カード4枚の撃ち合いの末、形勢が二転三転するなど、かなり極まっている)。そして、その様子を録音していた。つまり、新しいラジオ番組が起動したというわけである(ゲームをプレイ中の音声については、結構な沈黙の間があったので、公開するかどうか未定)。番組名も、夜中の2時に決まったし、あとは僕がサイトを作るだけ……って、それもそれなりに大変なんだけど。明日は落語を見に行くし、予定が詰まっている。良い日々だ。

<記事作成中の様子(ユーチューブ)>