ブログ「いらけれ」

言えることが少なすぎて言えない。好きなものがありすぎるからって、そのすべてを口の中に詰めて許されるのは、子どもだけだぜ。真面目に生きたところで、報われるわけがない。貧乏人だから、身の丈に合った闘争を始めるしかないんだ。

脳が疲れている説は有力だと思う。スマートフォンやらパソコンのやりすぎなのかもしれない。いろんなことを同時にできない人、一つのことに集中すると、他が疎かになってしまう人は、馬鹿にされがちな現代だけど、人間はもともとシングルタスクなのだという。
だから、複数のことを一遍に行っているつもりでも、脳は、やるべきことを個別に処理しているだけで、向かうべきタスクを素早く切り替えることで、どうにかこうにか一つずつこなしているだけらしい。つまり、多くのことを、マルチにやろうとすればするほど、切り替えの負荷が脳にかかり、疲労がたまってしまうというのだ。
僕はこの話を、パソコンのラジコで聞いた。今週のTBSラジオ「ACTION」木曜日だ。パソコンの画面の左側に資料を表示して、ワードで文章を作りながら聞いた。コントと違って人生は、オチがついても続いていくから恐ろしい。

大体の単語が、すでに競走馬。マジックリアリズムのことなんだけど。昨日の、映画的じゃなくて呪術的だって閃いてしまった。少なくとも、この日記においては。とはいえ僕は、マジックリアリズムのことをよく知らないのだが。あれかな、片方の翼がもげた天使とか出しとけばいいのかな。というのは冗談だとしても、言偏に寺っぽさではないというのは間違いのないことで、いつも一歩先にいるから、これは誰にも分かってもらえない感覚なのだろう。天才は辛いぜ、というギャグだよ。

『ポストモダンの共産主義』の返却期限がマジでギリ。ヤバさに焦りながら冒頭を読んだら、内容の方がもっとヤバかった。浮かれ気分で散歩に出かける。雨が降っていたので、傘を差した。空気が冷たくて、顔の露出している部分が痛くなる冬を思い出した。やることをやって麻雀を見る。毎回ドラマティックで楽しい。楽しさを伝えることはできない。カマンベールチーズパンにスライスチーズを挟んでトーストする。どうやら痩せる気はないようだ。「バトルライン」のアプリを、普段使っているスマートフォンにもダウンロードした。いつも寝る前に始めて、楽しくて5時まで起きている。あと、バルセロナが勝利を収めたことにより、楽天市場のポイントが増量されていたので、「バトルライン」のセットも買った。今のところ、使う予定は無い。ポイントが欲しいというだけで、イーグルスとヴィッセルは応援している。金曜日なので、アンケートがたくさん届いている。上から順番に終わらせていたら、今日も0時になっていた。明日は良い日になる気がする。ところで呪術は一体どこへ?すぐに話がどこかへ行ってしまうのが一番のマジックじゃない?

ブログ「いらけれ」

書くのが憚られるような、あまりにも強烈な夢を見て起きた。精神が激しく消耗しているらしい。そうらしいことは、部屋の床にたまったゴミによって視認できていたし、昨日、日記を1文字も書けないままに1時間、ただただパソコンの前でミックスナッツを食べてたときに、強く自覚していた。

この世界の、どこを探してもいないウサギを追いかけているみたい。上手く言えないけれど。強く生きているなんて言えないけれど。

職業病なんてない。いや、胸を張ってそうだと言えるほど、職業をしていない。だから、耳を澄まさなければ聞こえない声で、僕は話し始める。
日付の上に、どこかの風景写真。これはカレンダー。その左下に場所の名前があって、さらにその下に場所の説明が書いてある。キャプションと呼ばれるそれが、目に入ってしまったから、消極的に読む。
まず第一に考えなければならないのは、文字数だ。スペースは限られているから、あらかじめ定められている。3行で、およそ100文字。美しい景色を持つ場所だ、説明しきることなんて到底できない。しかし、できることはあるはずだ。そう考えていなければ、書き始めることすら難しい。
状況がテクニックを要請する。あるいは、姑息な手段を使う口実ができる。僕たちは武器を持っている。あるいは、読み手の勝手さが武器となるというか。
よく読むと、1行目と2行目はつながっていない。書き手の、苦心した跡が見える。ただしそれは、注意深くなければ見つけることのできない痕跡だ。普通は、普通に読み、普通だと思うだろう。
映画のモンタージュ理論に近いと、そう言い切ることができないのは、僕が映画に詳しくないからだ。1行目で、きちんと雰囲気を提示できれば、読み手の頭の中に世界が生まれる。世界を生み出すことさえできれば、読み手は、その世界を前提として次の行に向かう。それゆえ、前後のつながりは必要とされなくなる。やらなければならないのが、その世界を鮮明に活写することに移る。
日記について、こんなことを考えて書いているわけがない。一銭にもならないんだ、やめてくれよ。そんなのは自分ですら期待していない。でも、金儲けのときは結構やっている。短い文章で惹きつけたいと思うと、どうしても劇的にしてしまう。あと、接続の手間が省けるから、情報量を押し込めて便利という事情もある。そういう文章を書きながら、「ああ映画的だなあ」と、そう思っている。
画面から目を離したあなたが、そこにある文章を読んでくれるように、僕は願う。電車内の中吊りでもいいし、ポストに入っていたチラシでもいい。説明書はちょっとあれかもしれないけれど、ネットに転がっている芸能人の記事でもいいよ。あなたが注意深ささえ手放さなければ、読む時間のなかに、映画的な瞬間が訪れることだろう。


Rex Orange County – 10/10 (Official Video)

Give myself a little credit
Since I dealt with all the pain

元気が出る良い曲のおかげで、多分、もう大丈夫だよ。

ブログ「いらけれ」

ガソリンを入れた車は走り出す。ガタガタの道。エンジンがタイヤを回す。ハンバーガーを食べた男がアクセルを踏む。眠たい目をこすりながら。季節は春の桜吹雪が、視界が開けて丘の上から街が見える。屋根が並んでいる。私たちが過去を語り出すときのように、おずおずと雨が降り出して、鳥の形をした雲で月は見えなくなった。
停止の不可能性で世界は、一定のリズムを刻んでいる。面接のために女が扉を開けて、風が吹いて、カーペットから埃が舞った。そのことを、人間の眼では捉えることができないとしても、そのようにしてあった。これは事実だ。AがBになり、やがてCになる。すべてが変換されていく。キーボードに触っている指を動かしている脳を、電気信号が走った。
アルファベットがひらがなになって、漢字に変換されるまでの工程が、それ自体が縮図のようである。それだから、ただ、文字の後に文字が連なっているだけで、私は、心が動かされてしまう。マイルス・デイヴィスのトランペットを聞いている、私がそのように書くから、音楽が再生される。それがつまり、CがBになり、やがてAになるということなのだとしたら、まるで魔法だ。無から有が生み出されるのだから。

魔法は解けて、朝一番のスマートフォンは、僕でも電源が入る。未練を脳内から追い出して、すべてをリセットした。すべてをリセットしたい。返送用の封筒に住所と名前を書いて、本体を入れた。ポストに入れた。
一日で久しぶりという感じだ、外気は。ただ歩いて、散髪について考え、チェーンのヘアサロンの、一面のガラス窓に貼ってある目隠しの隙間を、覗き込む女を見た。それ以外に、特筆すべきことはなかった。
苦しみを見過ごすことができたとしても、苦しいことには変わりがない。七転八倒している自分を、もう一人の、のたうち回る自分が見ている。一切を捨ててしまう前に、穏やかな解決策を探している。生い茂る木々のせいで、大きな公園の内側から外側は見えなくて、少しだけ心が安らいだ。
帰ってきたら、グーグルアドセンスのPINコードが届いていた。やっとだ。二枚の紙を接着することによって、中味が見えないようになっていた。しかし、天下のグーグル様とは思えない、安っぽい作りで興味深い。興味深いことだらけだ、毎日。届いた数字を打ち込んで、無事に承認されたから、収益が8000円に到達すれば、金が振り込まれるという。ちなみに、現在の収益は1300円程度である……死ぬまで無理なんじゃねえかなあ、これ。

ブログ「いらけれ」

袋に入ったパンを、真剣な目で見つめている。腕組みをしながら、うんうんと唸っている。時計の針は、12時を指している。頭にバンダナを巻いたら、ライク立川談志といった風情である。今日一日のことを思い出してみれば、食べてはいけないという思いが、頭をもたげるのも当然だろう。

メインは映画を見に行くことだったし、さらに言えば、午前中には髪を切りに行ってしまうつもりだった。やる気に満ちていた朝の8時に、いきなり出鼻をくじかれた。時間を確認しようとして触ったスマートフォンが、画面に綺麗な模様を映すだけの機械になっていた。時間が解決してくれることを祈って、もう一度眠った。

時計の針は12時を指している。すべての予定は吹っ飛んだが、確かに問題は、時間が解決していた。昨日申し込んでいた故障の補償が届いていた。データを移行させる準備は終えていた。本当に間一髪だった。リビングで作業を始めた。

アナウンサーが何かを話している。意味は分からない。僕は、この国に来て間もない。それにしても、噂で聞いていた通りだ。誰もが目を合わせないように立っている。子どものころにテレビで見たSFを思い出した。

準備さえしていれば、何とかなると思うなよ。すべてを終えるまでに、3時間はかかっただろうか。ダウンロード、インストール、ログイン。これが21世紀だなんて信じられない。かくいう私は、20世紀の終わりに生まれたから、21世紀を輝かしい未来だなんて思ったことがない。その新しい時代は、私が夢を見る前にやって来たのだ。

準備が万端だなんて、絶対に思うなよ。まあ、大したことではなかったんだけど、二つのゲームアプリの、引き継ぎのために必要なパスワードをチェックしていなかった。しかし、前のスマートフォンは、複雑な緑色のパターンの表示に特化してしまったはずだった。時間を巻き戻すと、視界の端で、母が試しに触っていたのを見た気がする。ダメ元で電源を入れると、いつもの画面に戻った。
それで作業して、また置いてをしていたら、再び緑色。母に冗談で、「また壊れたから直してよ」とスマートフォンを渡した。飲み物を取りに行った私の背後で、「画面ついたよ」という声がした。
この話には続きがある。「なになに!?」と驚いた私は、本当に何かの力があるのではないか、いやそんなはずはないと、科学とオカルトの間で揺れていた。それで、部屋に戻って、使えるようになったスマートフォンを使って、気になっていた「バトルライン」というアナログゲームを基にしたアプリをダウンロードして遊んだ(100回ほどしかダウンロードされていなかったので、現役のスマホに落とすのが、少し怖かったのだ)。ちゃんと遊べるじゃん、というか、かなり楽しいなあと時間を忘れて熱中していたのだが、一度電源を落とし、トイレに行って戻ると、案の定また壊れてしまった。もう夕飯の時間になっていた。ついでにリビングへとスマートフォンを持って行き、科学を捨ててオカルトに頼った。そして案の定、母の手でスマートフォンが生き返った。背筋がゾクッとした。偶然以上、心霊未満だ。

そしてまたアプリで遊び、一日が終わった。台風が来ているわけでもないのに、外に出なかったのは久しぶりだ。パンは食べない方が良いだろう。これ以上太るのはゴメンだ。腹が減って、日記が書けないということもないだろうから。