未来配り
「ふたりらくご」5日目
10/15(火) 18:00-19:00柳家小せん-盃の殿様
柳家小八-猫の災難来場者 29名#シブラク
— 渋谷らくご 10/11~15ユーロライブ (@shiburaku) October 15, 2019
目覚めた瞬間に不機嫌というのは、とても嫌なものだね。そう思いながら目覚めた。僕の気分を害したのは、空気の冷たさだった。今日の朝は、本当に寒かった。夏の気分のまま、厚みの無いタオルケットをかけていた早朝に、半分眠りながらも、寒さに耐えかねて、薄手の布の微かな温みに、必死に包まろうとしたことを覚えている。
あの台風が通過してからこちら、季節がガラッと変わってしまったみたいだ。まだ衣替えを終えてないから、部屋で着る長袖の上着も、長ズボンも出していないというのに。そういえば、ここ数日ではっきりと、キンモクセイの香りを感じるようにもなった。まあ、これに関しては、キンモクセイが咲いてないか、気にしながら歩いているからかもしれないけれど。
手渡されたのは未来だと思った。ユーロスペースの、道路から遠い方の出口から出てしまったのは、充実感を噛みしめながら、見たものを反芻することに気を取られて、一つ目のドアをふらふらと通りすぎてしまったからだ。頑張って生きていると、たまにご褒美がもらえる。その実感が身体中に一杯で、とても良い気分だったことが影響したのかは分からないが、ポケットティッシュだって通り過ぎる僕が、出口を出てすぐ、そこに立っていた男性からビラを受け取った。それは、「お嬢ちゃん」という映画についてのビラだった。映画のタイトルを、僕は聞いたことがあった。
連休明けの平日だから仕方がないとはいえ、観客が少なかったのが、とても残念に思える会だった。小せん・小八だぞと、何をやっているんだと、世の人々を説教して回りたいぐらいだ。「盃の殿様」では、「花魁が目の奥で笑った」という説明のところで、ばっちり見つめ合ってしまい照れた。「猫の災難」では、枕からのシームレスな導入で痺れた。両者の語り口について、ことさらに何かを語るつもりはない。素晴らしかったのは言うまでもないことだし、その素晴らしさは聞けば分かることだ。だから僕は、「あなたも聞くべきだ」とだけ書けば、それでいいのだろう。
僕に「お嬢ちゃん」を教えてくれた人から連絡があって、心が揺れる話が書いてある。広く公開している以上、どんな可能性もあり得るということは、心得ていたつもりだったが、本当に本当となると、やはり驚いてしまう。素人の戯言からは出られないとしても、魂は削り続けなければならないと思った。
渋谷の街は、いつも通りの混雑ぶりだった。偶然を受け入れるのならば、次は映画を見に行かなければならないのだろう。未来は書き換えられたし、僕が書き換える。そう思いながら、渋谷を離れた。
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