ブログ「いらけれ」

2018/07/08 今日のボイスメモ
わたくしのやっているポッドキャスト「ボイスメモを公開する。」が更新されました。内容としては、面接を受けた企業をばらそうとして止めたり、ブログの記事の裏側をばらしたりしております。途中、声が小さくなっているのは、遠くのフェンス越しに人影が見えたからです。
次回は特別回になる予定。お楽しみに!

いや本当に、ブログは面白くなくてもしょうがないというか、ブログなんてつまらなくてナンボだから、今日見た「WOWOWぷらすと」の「ハワイってホントにいいの?」が面白かったって書いちゃう。サイトウ"JxJx"ジュンさんのプレゼンテーションと表現力!雄叫び、バスクリンというパワーワード。すごーく、すごさが伝わる。まあ、僕は26年の人生で、25年11ヶ月東京にいるような奴なので、一生行かないだろうけど。
大きな霊園には電灯がほとんどないから、日が沈んですぐ散歩すると、今の時期空がとても青。見たこともないほど。セミが鳴いている。ポッドキャスト収録が厳しくなるなと思う。
返ってくると、王位戦の第一局が終わっている。棋譜コメントから引用すれば「平成、最後の夏。平成生まれ同士のタイトル戦が、初めて実現した。」わけだけど、非常に熱戦で良かった。それは間違いなく、これからの将棋界の新しい地平を拓いていく戦いだった。どこも新しい世界になっていく。
ベンチャー的な?意識高い的な?企業から面接の合否が来ないことについて、最初は怒っていたんだけど、もうその段階は過ぎて"だからか"って思っている。つまり彼らの本質は、夢や希望ではない。それを高らかに謳うような宣伝文の、ポエムの、つまり言葉の空疎さなんだと。だから、足元の色んな物事が抜けてしまうんだと。なんならスラム街にクラウドファンディングで行こうとしてしまうのだと。まったく、そこにいる相手が、向こう側にいる人間が見えていないんだから、困ったものだ。
『偶有からの哲学』を読み終わる。僕が「変容するカツ丼」の冒頭で書いたことと同じこと言ってるところ、あるよね?自分と哲学者を同一視するって、僕の頭がおかしくなってしまったのかな?まー、全体的に言ってることはなんとなく分かる。消費社会まずいよねー、というのはそうだろうけど、じゃどうすりゃいいのとは思ったな。……さ、ホイジンガ読もっと。

「荻上チキ・Session-22」「シリア・イラク・南スーダン……『国境なき医師団』の看護師が見た紛争地医療のリアル」
「自分が大事、自分のことだけ考えたい」って、それは当たり前だし言明するのももちろん自由だ。でも、その考え方さもしいよね?こういうの聞いて恥ずかしくない?と思う。自称リアリストたちが、コスト計算して放つ言葉が、さもしい、恥ずかしいって世間から見られないことが、結局ずっと嫌だってことなのかもしれない。

ブログ「いらけれ」

東京03第20回単独公演「不自然体」初日へ、友人の誘いで。ちょっとした感想を書きたい(ネタバレ?は無し)。
90年代終わりから00年代頭の「お笑い」シーンは、そのメインの客層で、例に漏れずハマっていた姉の影響で、僕の中に確固とした位置を占めていて、そこで受けた英才教育が、後のラジオ好きからの、こっち(サブカル?)へ曲がっていく原因だった。「WANTED!」火曜日はバナナマンの担当で、その流れで聞いていた水曜日は菊地成孔と大谷能生の担当。つまり、そういうことだ。だから、「オークラ」「ニイルセン」といった名前を、その公演の最中に見つければ、それなりに感慨を覚えたりするのだった、新国立劇場(この大きな会場でやっているのもすごい)の席に座りながら。
中年男性3人という限られた狭い条件の中で、コントごとに様々なシチュエーション(彼らの言葉で言うなら「設定」)を発明し、幅広い客層(小さな女の子も、おじいさんも会場で見かけた)に向けて、ポリティカルコレクトネス的に難しいテーマを、その微細な表現力で易々と乗りこなしていく様には本当に驚かされる。笑いを外さないこの素晴らしいコントたちが、シティボーイズなどから流れる関東のコント史、あるいは現代口語演劇史といったものに、どのように接続され、どのような位置を占めるのか、しっかりと語れるほどそちらに詳しくないのが口惜しいほどに、すごいことをやっていると思った。
彼らのネタにするものに、現実から遊離したものはなく、唐突な気まずい状況や、突飛な発言をする人というのは、私たちの周りにいるばかりではなく、まさしく私たちの姿でもある。つまり、そこに私たちは、私たちを見るわけだが、しかし、私たちの世界には、あのコントのようなひねった展開も、大声のツッコミもない。つまり、おかしな現実は回収されないのであって、そうやって回収されない人生の断片(=もやもや)は、私たちに残存し、血管を巡っている。東京03は、そういった誰もが持つ人生のもやもやを、お笑いの文脈の中に取り込み、完璧に消化/笑いに昇華していく。彼らを見て笑うとき、掬われているのは私たちの過去であり、記憶だ。つまり、東京03=デトックスなのではないか、と思った。

こうやって真面目に、技巧を凝らして書くことが恥ずかしい。やっぱし、僕にはライターなんて無理なんじゃねって、ライターとして働き始める前から怖気づいてしまう……。もうちょっとしたら入社するってのに。
こういう自意識みたいなところから、一歩先へ行くために、このブログはあって、つまり訓練でもあって、そんなものを読む人の身にはなれないというか、基本的には読まなければいいものである。

教えたことを覚えていないということがお互いにあって、僕たちは会話に内在しているつもりで、モノローグに引っ張られているのかもしれないと思う。「話を聞きましょう」というありがちなスローガンを、実際的に意味のある言葉にするのは非常に難しい。語りたいことはあっても、語られたいことは、こちらの想像もつかないエピソードだったりするわけで。「聞きたいことを聞かせろ」という尊大な態度を取らず、どんなことでも聞く、聞くことの受動性へ耳を開いていくこと。これが重要だとは分かっていても、そこへ向かう方法は分からない。


鈴木英人っぽいイラストがパンフの表紙絵

ブログ「いらけれ」

日本代表がワールドカップのベスト8に一番近づいた瞬間を見終えて、これから先、こういったチャンスをまた見られるだろうかと考えていた。だって代表選手の年齢層は高かったし、替えがきかないキャプテンは代表引退するし、協会はアレだし。
ベスト8になるには、日本のようにベスト16で喜ぶのではなく、「ベスト16突破は余裕でしょ」という強豪国のように、対戦相手だったベルギーのようになる必要があって(ベルギーだって数年前はワールドカップ出られなかったりしたのよ?選手が揃えば、強豪国の仲間入りだってできるはずだ)、そのためには、チームをサポートする人が有能でなければならないし、国民のサッカーリテラシーを上げなければならない。そういう意味では、様々な良記事が出てきたり、詳細な分析がなされるようになったりと、語られ方に関しては希望が見えた。それを、サッカーファンのみならず一般に広く伝えていくことと、なにより協会の体制が変わることが必須だ。これがなされないのならば、ベスト8なんて、そういうチャンスはもう来ないかもしれない。

過去の日記の一部を表示したときに、アドレスバーが「保護されていません」となってしまうものがあって、どうやら古いアマゾンアソシエイトのテキストリンクが悪さをしているらしかったので直したり、リダイレクトを設定していた記述が消えていて、リダイレクトされなくなっていたので再度書き込んだりしていた。とか言って、本当にサイト運営に関しては、よく分かっていないことばかりで(だってテキストリンクなのにimgタグが使われてた理由も、記述が消えてた理由も分かんないんだもん)、謎ばかりだ。と、僕はこのようにしか書けないわけで、他の本の盗用を疑われる書き方なんてできないし、参考文献に挙げるどころか、おそらく本文に「『○○』の中で……」と書けるような小説にするだろう。それが可能性を狭める手法だとしても。
この情報化時代に、そうとうな度胸だ、ふてえ奴だ、と思う。僕みたいな小心者ではない、そういう人にしかできないこともあるのだろうな、と思う。

とっても優しく書いている。僕だって、『聖なるもの』を読み終えて(入門書という性質上、内容は詳しく突っ込むというより概覧的といった感じだったけど、面白かった……文章はすげー難しかったけどな!)、今読んでる『偶有からの哲学』みたいに、大仰で小難しく、古代ギリシャから語ってみたいよ?学がないから無理だけど。
そうそう、この本はフランスの公共ラジオ局フランス・キュルチュールってとこで放送された対談が元になっているらしいんだけど、「フ、フランス……すごい」って思った。だって、やっぱりそれなりに難しいんだもん。ここまでの内容だったら、日本のラジオじゃ放送できないだろうし。
あと、神話とか本当に知らないこと多くて恥ずかしいんだけど、エピメテウスが「うっかり者で、常に何でも慌ててしようとする、しくじってばかりのいわば粗忽者です」って書かれてて、なにそのあるある俺じゃん、ていうか萌えキャラじゃん(俺≠萌えキャラ)と思った。
とりあえず読み途中なのでここまで。

「2018/07/08 今日のボイスメモ」

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「渡部直己氏の問題と教育と批評 : 矢野利裕のEdutainment」
文芸評論業界、あるいは文壇と呼ばれるものにはとんと疎く、ただ問題が起きていることだけは知っていて、誰が何を言うのかについて、それなりに注目はしていた。
もちろん、何か事件が起きたからといって、過去につながりのあった人はすべからく発言すべき、なんてことはないって、こんなことをわざわざ言わなければならないのが、めっちゃ現代っぽいわけだけど。
まあ、旧態依然とした"業界"が温存してきた悪しき構造に、告発によってメスが入っていくのは必然だと思えて、元々がおかしかったのだろうから、こういうことによって環境が変わっていけばいいなと、部外者はこれくらいしか思わない。
僕が、この文章で感銘を受けたのは、やはり教育についてで、「そこで受け渡されるものは秘伝の教えなのだ」みたいな言い訳によって、ずぶずぶの関係やゆるさが許容されていた大学的なものとは違って、中学校という知識人の知りえない現実の現場で、もっと誰にでも開かれたものでなければならない、それでいて使える手段が限られている、しかし、教えるんだという矛盾の最前線から放たれるその言葉は重い。そして、そこで批評的な専門知を伝授していくことこそ必要な実践なのだというハーコーな姿勢と態度が、とてもいいなって思った。

本当に暑くて八月みたいな七月だ。ポッドキャストのためにしゃべりながら、自分が焼けていくのが分かったし、腰かけたベンチは灼熱だった。八月になったらどうなってしまうんだろう、東京。鞄を開けて、水を取りだした。そのとき、それは起こった。
僕には、言えないことが多すぎる。書くと恥ずかしいというのもあるし、書いて伝えるだけの力量が足りない。僕の体、心、身辺、人生。ネタになるような、作家ならネタにするだろうアレコレを、これだけ隠していて、むしろよくこんなに書けているなって、才能あるんじゃね?って思わなくもないほどだ。
僕は、人生の真実を、死ぬ前に書き残すことができるだろうか。心が割り切れる速度、実力がつく速度と、死が競争をしている。

【音声配信】「ロックじゃなくて、ソウルだから・・・」荻上チキの髪型をどうするか?でチキ&南部がトーク▼2018年6月27日(水)放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」)
(態度として)「ロックだね!」(音楽ジャンルとして)『いや、ロックじゃなくてソウル……』という珍しい齟齬のやり取りを想像したら、おかしくって笑った(詳しくは、音声をお聞きください)。しかし、二人の髪型史おかしいでしょ笑。まあ、そういう狂気が心の内にあることは、ずっと聞いてれば分かってたけどね!むしろ、だから信頼できるって気もするんだ。僕にも狂気があるからね。