ブログ「いらけれ」

13時半から、「Twitter文学賞」の結果発表の生中継を見ていた。僕の評論好きは筋金入りだから、初回から見ている。ユーストリームで配信されていたころから見ているのだ。しかし、そこで紹介されていた小説は、ほとんど読まない。情けない人間だ。

途中から「Mリーグ」のファイナルシリーズも始まって、なんて楽しい日なんだろう。ヤクルトスワローズのオープン戦も、同じ頃にプレイボールされていたが、リアルタイムでのテレビ中継はなく、19時から録画放送があるのみだったので、娯楽の多牌でテンパることはなかった。とりあえず、「Twitter文学賞」は後回し、「Mリーグ」の対局をライブで見て、ドキドキすることにした。

麻雀は面白い。麻雀が面白いのは、選択の及ぼす影響のカオスが、麻雀卓の上に現れるからだと思う。例えば、ある選手が加点を重ねて、比較的点差の離れたトップ目に立ち、オーラスを迎えたとする。この場合、トップ目にいる選手が、有利であることは間違いないハズだ。しかし、事はそう単純ではない。

点差が離れたことで、2着目以下の選手は大きな点数のアガりを狙うことになるだろう。そうなれば、僅差の局面とは選択が変わり、切る牌が変わるだろう。もちろん、無理矢理高得点を狙っても、大抵の場合は上手くいかないのだが、極稀に、奇跡のような大逆転が起こることがある。

この時、逆転した選手がツイていたとか、上手かったということもできる。それはそうだろう。だが、もしオーラスが違った点差状況だったら、どうなっていただろうかと、想像することもできる。その場合、最終的に逆転した選手が、そこまで高得点を狙わなったことにより、アガりを逃した可能性すら考えられないだろうか。では、オーラスをトップで迎えた選手は、大きな点差をつけてしまったことが失敗だったのか……?それならば一つ前、二つ前に、持てる技術を駆使し、熟考を重ねて選択し、少しでも点数を得られるようにして、アガりを決めたのが間違いだったということか……?などと、考えだすとキリはなく、卓上の宇宙に思いを馳せるのであった。

「Twitter文学賞」に戻る。途中、国内編の一票しか入らなかった本のなかから、オススメを挙げるというコーナーの、大森望さんの紹介で気になったので検索し、『トランスヒューマンガンマ線バースト童話集』の著者、三方行成氏の書いた「流れよ我が涙、と孔明は言った。」を、カクヨムというサイトで読んで、何度も声を出して笑った。発想に制限がない感じと言葉遊びの感覚に、これ、立川吉笑さん好きそうだなあとも思った。面白かったので、僕は元気になりました。

ブログ「いらけれ」


【歌詞つき】Gloria(live ver) / FoZZtone[official]

苦しみは それ自体が目的のような
フリをする お人好しは死んでいるようだ

(承前)その後は、ほっといていたんだよ。それで、気分よく過ごしていた。「AQUOS sense2」は、安さに見合ったパフォーマンスって感じだけど、ゲームとかやらない僕にとっては、それで問題なかったし。なにより、さすがに二年使ったスマホより、だいぶバッテリーが持つなあと、感動していたし。

ほっといていたのは、面倒くさいのもあったし、実際、まだ新しいスマートフォンでは、インストールできてないアプリとか、ログインできてないサービスばかりで、整理が終わってなくて、画面を開く度に引っ越し直後の部屋みたいだと思う。段ボールにつめるように、アプリは、とりあえずフォルダに収めてある。それと、月末に登録申し込みをしたんで、できれば無料期間を月初にスタートしたいという思いもあって、どういう契約になってるのかイマイチ分からないが、一応、Apple Musicアプリは3月から使い始めようとしたのだが……。

ここで、もう一度auに問い合わせることになる。アプリを開いても、「auからの登録はありません」というメッセージが表示されてしまい、手順を進められないのだ。しかし、もちろんauのサポートは役に立たなかったどころか、電話口の相手が、遠隔でスマホの画面操作をしていたのだが、明らかな誤操作をして、「これ、違うと思うんですけど」と、こちらが説明する始末。待たされ待たされ、もたもた画面を操作され(自分でやりたい……)、一通りの対処をしたところで、結局、「電源を切ってみて(SIMを挿し直してみて)」と、「それでもダメならAppleに問い合わせて」という、屁の突っ張りにもならないアドバイスをいただいた。それだけだった。

Appleに電話する。auに電話したときも「サービス向上のために録音させていただいています」って音声が流れて、その時も思ったけれど、やっぱり監視されているようで息苦しさを感じるし、後からいろいろ言われるだろうサービスセンターの人を不憫に思ってしまう。もちろん、センターの人を理不尽なクレームや強迫から守るという意味もあるのだろうが。

Apple先生のサポートは、なんか言葉使いがフランクでビックリする。若干の馴れ馴れしさ。症状を伝えたところ、「初めてのケースなので、時間をくれ」と言われた。その後、Apple側からauに電話をかけたようで、会社同士でのやり取りに発展したらしい。つうか、そういう連絡は事前にやっとけや、と思わなくもない。折り返しの電話までもらったが、ここでも、事態が好転することはなかった。

「auに確認したところ、申し込みが適用されるのに一週間かかるというから、待ってみてくれ」と言われたが、だったら、auに電話したときに、「こちらの登録は済んでいるから、appleにその旨を伝えてから相談してくれ」と断言されたのは何だったんだ?それに、ツイッターなどでは、機種変更して即使えている人もいるようだぞ?

絶対に、どちらかが間違っている(か、スマホの不具合?……仕組みが分からないので、原因も分からない)はずだ。登場人物が馬鹿しかいないよ。なんで、こういう不幸ばかりが俺に起こるんだよ。このことで頭がいっぱいになって、マスクをつけ忘れて家を出てしまったよ。こんなことに、休日を4時間ほど費やしてしまったよ。

もう怒りを通り越して、どうでもいいやって思っている。そして驚くべきことに、そう、この問題は決着がついていないのだ。果たしてどんな結末を迎えるのか……ご期待を乞うほどでもないが。

Gloria 悟りそう Gloria もう悟りそうだ
Gloria 嵐の中 Gloria 心は凪いでいた

ブログ「いらけれ」

壊滅的である。そもそもが、Twitterに流れてくる流行りのnoteなどを見るにつけ、何の教養もなく知識もない自分に苛立ち、ブログを書くという気持ちの著しい減少に見舞われており、どうでもよくなっていた真っ最中だったのだ。そして、先程まで東京ドームで行われていたオープン戦で、相手チームのエースにきっちり抑えられ、4番にきっちりサヨナラホームランを打たれたことも、少しは影響しているのだろう。ああ、嫌だ。

携帯電話の機種変更をしたのは、先週の火曜日だった。これから始まるのは、本当にただの愚痴である。読んでいて、面白いものではないだろう。しかし、心が壊滅的な今は、それでもいいと思ってしまっている。ちなみに、登場人物はauとappleである。

ショップでの手続きに、想定していたよりも時間がかかったことは、こちらから、不明点を尋ねた部分もあったので、納得している。そのせいで、周りの飲食店のランチが終わっていたことと、髪を切る暇がなくなったことも、仕方のないことだ。「故障紛失サポート」というオプションが、何の説明もなく付けられていたのも、まあ良しとしよう。壊すと手厚く補償されるようなので、壊すように使うつもりだ。わざわざメールが来ていたので、「誕生日月の人には、プレゼントがあると聞いたのですが……」と、スタッフに声をかけたら、「全部捌けたんです」と言われたことが、一番腹立たしかった。「もれなく」って書いてあったから。もれたから。

でもまあ、流石にここまでならば、寛容な私なら忘れてしまうようなことだ。問題は、機種変更と同時に申し込んだApple Musicの無料サービスだった。

まず、auショップでの申し込み時に、こちらも説明をされなかった。家に帰って、もらった紙袋を探ったところ、契約書などと共に利用開始の手順が書かれた紙を見つけた。だが、手順の最初に書いてある「届いたSMSのURLから……」の、SMSが来ていないので、お問い合わせに電話をする。

ただこれは、SMSで届いたURLでなければならないというわけではなくて、よく見れば、手順の紙に「こちらからでも手続きが出来ます」と、QRコードが書いてあったし、auの公式サイトのヘルプにも、URLが記載されていた。だから、これは私のうっかりだったわけだ。しかし、それならば「SMSが届いてないんですが」という電話口の私に対して、すぐにそのことを教えてほしい。そういった対応を、サポートには期待しているわけだが、相手から出る言葉は、状況自体が分かっていないのではないかというもので、若干不安になる。『調べたところ、Apple Musicの申し込みは済んでいる、だから使える』というようなことを、過剰な敬語で話す相手に対して、「だから、申し込めていたとしても、URLがないと始められないのですが」と、ややキレ気味なってしまう。なんとか状況を説明し、URLを送ってもらうところまで漕ぎ着けたときには、長すぎる音声ガイダンスと、オペレーターに接続するまでの待ち時間も合わせて、15分ほどかかっていた。(続く)

ブログ「いらけれ」

何を、どのように書けばいいんだっけなあ。始めから終わりまで、忘れた。『熱量と文字数 感謝祭』のチケットを発売している「ローチケ」の、「ロ」のロゴが大きくて、ずっと「お、オー?ゼロ?」と分からなくて、もちろんこれはカタカナのロだったって、そんなことか?それとも、チケットの予約の有効期間が三日ぐらいしかなくて、他に行ける日がなかったから、遠くにあるローソンまで無理して行って、やっぱりローソンにはローソンを家の近くに作ってほしいと思ったこととか?かわいい女性の店員さんが、チケットを見てどう思ったんだろうと、店を出てから考えたこと?
そんなことより、図書館に行って1時間近く悩んだことを書きたい。ローソンはもういい。『機械カニバリズム』が良い本だったから、余計に分からなくなってしまった自分の欲望。ありきたりな小説の書き方本を借りてしまうところだった。誰かが読む本を決めてくれたら楽だ。教養の無さにクラクラするのは、これまでの読書量があまりに少ないからだ。どれから手を付ければいいのか分からないから、どれにも手を付けられない。死にそうな苦しみのなかから救ってくれたのは、長嶋有だった。好きな作家の本を、読み逃していてよかった。『電化製品列伝』を借りて、命からがら逃げだした。危ないところだった。
交差点では、人間に星を付けるのは良くないことだと思う。人間に点数を付けて評価するのは良くないことだと、みんなが思っているから、「あなたは星3つ」とか言わない。でも、飲食店に入ったら、誰もが店員の接客を評価していると思う。ときには、ネットで点数付けたりするでしょう。つまり、人格を点数で評価するのは憚られるけれども、機能で切断された人間や、ある役割が被さった人間ならば、私たちは容易に点数を付けるのだ。とか言って、これは昔からそうで、勉強の能力をテストで測ったりするし、面接とか人事評価の場面では、人格的な部分にまで踏み込んで点数化したりしてるかもしれない。そういう人間の世界が嫌だ。
それで今日の昼間は、親とサイゼリヤに行って、真面目な息子みたいだった。キッズメニューの裏に描かれた2月の間違い探しが、難しすぎて、食べている間もずっと探していた。サイゼリヤが開店して半月で、もう3回来ているという親も、最後の一つが見つからないと言っていた。もう帰る時間になったから、最終手段としてググってしまった。間違いに丸が付けられているサイトで正解を見たが、どこが間違いなのか一瞬分からなかった。親に教えたら、「あー」と声を上げていた。間違いは、分かったら、なぜ分からなかったか分からなくなる。それから一人で散歩に行って、表札に書かれていた「春雄」という名前が良いなと思う。絶対にできないが、息子ができたら付けたい名前だ。ただ、"雄"はちょっと強いから「春央」でどうだろう。今日は、花粉症の症状が比較的軽い。家に着いて、仕事を少しだけして、夕飯はマックで、その残りのハンバーガーを食べながら、書いているのが今。まだカレンダーをちぎっていない3月に、僕は善処していくつもりだ。


植田真梨恵「FAR」MV

見えないものが見えている間
見えてるものは見えなくなっちゃったんだ