ブログ「いらけれ」

11月11日「強く蹴れ」
11月12日「今も不明」
11月13日「Know Better」

ここんところのブログを並べてみた(まだ読んでない人は、早く読んでね☆)。僕の人生の時間は、僕の体感的には真っ直ぐ進んでいて、時系列通りにしか見ることができないし、明日のブログは、明日にならないと僕も読めないということが大半だから、こうずらっと目の前に現れたそれに一気に目を通すと、どんどんと頭がおかしい人の文章になっていっているのが分かる。狂うね、書く対象を欠いたまま何かを書き続けると狂うね。つうかこう、狂わないとやってられないっていうか?この精神異常は、定められた発狂だったんだなって。

『SHIBA-HAMA ラジオ』、とくに文句があるわけではなくて毎週楽しく聞いているんだけど、肝臓の病気についての硬い箱番組の終わりに「最後に一曲お届けしましょう、ジャスティン・ビーバーで……」って言われると、その温度差に笑ってしまうから、やめてーってなる。

『プロフェッショナル 仕事の流儀▽少年の夢、リングの上へ~プロレスラー内藤哲也』
WWEがメインとはいえ、国内のプロレスも少しは見ている僕ですが。これ、どういう内容になるだろうなー。「激闘の裏側に迫る」って書いてあるけど、そらプロレスには見えている部分の裏があると思うけど、それをどこまで描くのだろうか。ヤングバックスと打ち合わせしている動画(※2:49頃~)とか、今ではインターネットで見られるわけだが……今、プロレスラーのドキュメンタリーを撮影するっていうのがどういうことなのだろうか。それはマットの向こうを写すのだろうか。NHKにとってのプロレス観であるとかも分かるだろうし、今から興味津々だ。

今日は「東京ポッド許可局」を聞いて、「熱量と文字数」のアニメ新番組の二つの回を聞いて、「シバハマアフター」を聞いて、面接に行って、複雑な気持ちになって、未来のことを考えながら散歩した。新しい求人のチェックは、これからやる。

(水道橋博士が休養するってニュースのコメント欄(読まなければいいのに……)に、「きっとメンタルがやられたんだろう。それほどテレビに出られていないから。過労ではないだろうし」みてえなことを書いている人がいて、馬鹿というのは、自分の知っている情報でのみ判断し、断定する人のことを言うんだなって思ったし、やっぱり馬鹿な人だらけのインターネットは恐ろしいなって思った。)

ブログ「いらけれ」

いつの間にか風邪も治って、鼻水が出ることもなくなって、明日には面接があって、昨日はシブラクで、今日は仕事があるが、今はブログを書いている。新しい仕事も探さなくちゃいけないから、それもしようと思っている。アルバイトサイトを見ているときの僕の顔は死んでいる。未来を考えると暗くなる。今だってダメだっていうのに。今が真っ暗なとき、お先が真っ暗かどうか分かるのか?
とにかく、すべてを忘れるために、下らないアンケートに答えて、小銭を稼ぐ。月に3000円くらいにはなっている。だからAmazonで雑誌も買えるし、酒も買える。それはそれとしても、でも、時給に換算したら、悲しくなるのだろうな。誰かに憐れんでいてほしいと思う。誰にも、見向きもされないよりもマシだ。

昨日からの続きで、そして知る「東村山ラップ音頭」。へー、と思った。晋平太さんがここら辺に住んでいるのは知っていたけど(というか見かけたことあるけど)、こういう試みをやっていたとは。
ここは別に素晴らしい場所ではないけれど、もちろん悪いだけの場所でもなくて、日本中のすべての土地と同じように、そこそこ良いところもある。でも、少し他と違うところがあるとすれば、かつて日本中に知られたという記号性がある。何かをやるには、うってつけの場所なのかもしれないな、と思う。

幹線道路沿いの部屋には椅子が置かれている。その部屋は、私の脳内の都心へ伸びた線路の側の一軒家の中にあり、今は窓が開いている。その窓からは、3歳くらいの男の子と、おそらくそのお母さんが、楽しそうにこちらを見ていたのを、すごいスピードで通り過ぎた。瞬間に理解する。世界はループしている。私は座って、それを見た。その椅子は、都心へ伸びた線路の側の一軒家の中にある。ついに私の頭は、おかしくなってしまったようだった。幹線道路で死んでいた鳩が、忘れられなかった。頭のなかでは破裂音が、断続的に続いていた。

自分が30歳を超えるなんて思えないというか、その現実が一つも想像できないというのに、あと3年と少しなんて、本当に信じられない。ちょっとずつ前に進んでいるのは確かだから、本当に来るんだろう、その日も。自分みたいな人間が、それなりの長さをすでに生きていることが、それ自体がエラーみたいなものだ。間違い続けてきたように、間違い続けていき、間違えたまま30を迎え、恥ずかしい思いをするのだろう。それも信じられないね。


Forth Wanderers – Know Better

ブログ「いらけれ」

東村山市では、昨日今日と市民産業祭をやっていたようだが、私には特に関係がないことだった。それは会場の近くを通るときに、混雑しているなと思ったり、食卓に屋台で売られていたものが並んだりしただけだった。でも、あれだけの人が集まるのを見ると、すごいと思う。祭りって、頭で理解できる意味を越えているんだろうなって思う。

「佐藤大のプラマイゼロ」
更新されたばかりの「#113 キョコウのツヅキ」を早速聞いて、大さんがニューヨークのブルーノートで見たのがロバート・グラスパーだったというのでビビった。そしてそれを「アレ、上手いんですか?」というビバップチーム(笑)。あと、番組中盤から始まる「レッド・デッド・リデンプション2」漫談が面白すぎた。やっていることが、まるで西部劇とは思えないすっとこ感。そんで二~三日村に帰らないと、リーダーから「なんで村に貢献しないんだ」と小言を言われるという。リアルすぎて、ゲームの中までも超真面目に生きる羽目になってしまうというのが興味深いよなあ。ふつおた、送ろうかなあ。

声が聞こえないとき、どうしていたのか忘れた。人間の振りをして待って、神の救済を祈っていたっけか。遠くここまで来て、ボロボロの靴のような心。いや、そうではなかった。初めて二人きりで乗った電車で私たちは、お互いを思いあっているように見えた。実在した優しさが、いつか狂ってしまった頭からでも取り出せる。生きた気も死んだ気もしない場所で、今の私たちは初めから終わりまで後悔したまま、二度と会うこともなく別れるのが関の山だが、もしかしたらまだ、間に合うのかもしれなかった。でも、すべてがすでに終わっているようにも思えた。

ということで(?)、『ユリイカ2018年11月号 特集=K-POPスタディーズ』を購入した(ちょうどウイスキーがなくなっていたので、新しくジムビームも購入してみた)。言葉が不足しているところで、語られる言葉を読むことが出来るというのが嬉しいね。多分今、僕の心からの言葉が、心から出てこないのは、それは、読む言葉が足りてないからだと思う。まず読まないといけない。しかし、僕の初『ユリイカ』がK-POPになるとはね。驚きだね。そしてこれらはもう届いていて、どちらも僕の手元にあるんだ、へへへ。僕の明日からが、とても良いものになりそうな気がしない?だから、あなたの明日からも、とても良いものになればいいのにって思う。

ブログ「いらけれ」

『「はい」と言って』
「YES or YES」を聞いて、一番驚いたことを書き忘れていることに、今驚いている(ああ、ぼくの人生は驚いてばかりだ)。で、書き忘れたことっていうのが、いっぱいあるんだけど、なぜアイドルは歌って踊るのだろうかと、ふと思ってしまったこととか。いけないいけない、それで一番驚いたことっていうのが、曲の長さが4分あることだった。
WIREDの記事「音楽ストリーミングがもたらした、全米ヒット曲の「7つの変化」:研究結果」にある通り、一曲の長さというのは短くなる傾向にあり、さらに言えば、"現在、ランキング入りする曲で3分30秒を超えるものは非常に稀"なわけです。もちろん彼女たちの、MVが作られるような曲というのも、長くても3分30秒くらいに収まっていたわけです。それなのに、4分あるということは、どういう戦略なのだろうか、ということを、真剣に考えなければなりません。

“今"というのは、あなたにとってどんな形をしていますか?僕にとってのそれは、丸くて透明です。透明って不思議ですよね。水も硝子も透明だけど、透明でそこにあるということは分かる。透明人間のように、本当に冬目ではなくて。それで、その透明のボールはいくつかあって、跳ねていて、ぶつかって、蹴ったら気持ちよさそうだから今、大きく足を後ろに振り上げて。

久しぶりに「スンッ」ってなっている。驚くほどに、書きたいことがない。何があったわけではない、というか、何もなかったから書くことがない、というわけでもない。実は、あまりにいろいろなことが起こったおかしな一日に、心を囚われ続けている。
何かを書こうとすると、あの日にすれ違った、あの人々のことを考えてしまう。彼/彼女たちが、なぜあんな格好をしていたのか、なぜあんな決断をしたのか、なぜ道端であんな行動をしたのか……ということをずっと考えているのだが、決して分かることのない疑問だけが残るのだろう、人生に。
それは、ブログという形で書かれることはない。ポッドキャストという形で話されることもない。まだ無理、というか、ずっと無理ぜったい無理、無理無理無理。あの人々のことを考えれば考えるほど、無理になってしまうというか、彼らの事情を慮ってしまうから。
それは僕の見た、そのままの形で表現されることはないだろう。しかし、いつか小説という形式で、このザラザラした心が伝わるように書かれるのだろうなって、そんなことを思った。