ブログ「いらけれ」

11月21日に僕は、原宿にいた。表参道は大勢の人で埋め尽くされていたけど、僕がなぜそこにいるのか分からないように、彼らも分かっていないのではないのだろうか。初めて入った、いわゆる裏原宿の通り、必要がないほどの古着屋の店内を、観光客の気持ちで眺めていた。「ブランド」の価値が、以前と比べて低下し、うっすらと残った階級意識と差異化のゲームのなかで人々は、右に行ったり左に行ったりしている。それで結局は、自分の趣味という問題に突き当たることになる……。

一生分のおしゃれを摂取して、午後には原宿らしいパン屋でパンを買い、その二階でコーヒーとともに喫食するという、優雅な時間を過ごしていた。僕は本当に、よく分からなくなっていた。明日にはまた、インターネットを汚すような芸能人のゴシップを書くのだろう。何か月も掃除していない、あの自室で。100円の菓子パンが昼飯で。イチョウが美しく色づいた通りは、行き交う人々の上着もカラフルだった。

なぜ僕が、いや僕たちが、時間を潰していたのかを書かなければならない。友人に、ブルーノート東京でのライブに誘われたからだ。招待券があるという。なにも知らない僕でよかったのだろうか。分からないけれどとにかく、めったにない機会だから、しり込みする気持ちを抑えて、同行させてもらうことにした。

ライブの主役であるキャンディ・ダルファー。年齢を知るとビックリする。

ブルーノート東京であり、良いお値段の公演であり、当然のように、年齢層が高めの客席。家で、100mlが100円のウイスキーを飲んでいる人はいなさそうだった、僕以外に。

本日の特別カクテル。二千円近い値段で、ナチュラルに「うおっ」と声が出てしまい、貧乏が恥ずかしかった。ハヤシライスも同じくらいで、美味しかったけど量がなくて、ファミレスだったら怒るだろうなーと思った。でも、そこはブルーノート東京なのだ。ポテトは比較的良心的な価格設定だったので、もし次回行く機会があるとすれば、食事は済ませておいて、ポテトとアルコール一杯にするだろう。

ライブが始まってしまえば、知識とかジャンルとか、そういった小賢しいものを超えて、ただただすごかった。こういうときに使うのだろう、「語彙力」。サックスという楽器の主人公らしさと、それを演奏するキャンディのパワフルさ(めっちゃ長いソロ吹きながら、場内を練り歩いてたよ)。難しい顔をしたおじさんたちが立ち上がって、盛り上がり踊っているのを見て、音楽の根源的な、乱れた細胞の配列を整えるような力を目の当たりにした思いだったし、興奮しながらヒーリングされるのを実感していた。

スペシャルサンクスとして書かなければならないだろう、連れていってくれた友人は。ブルーノート東京という場所が、どういうものかという経験にもなったし(食事の値段こそ高かったけれど、意外とラフな格好の人も多かったし、敷居もそれほど高くないのだなと感じた。しかし、トイレに行く道中に、これでもかと並ぶワインのボトルに、威厳を感じたのも事実だ)。また会おうといって別れたので、今度は僕が、何かをしなければなあと思いながら、僕らしい世界観へ徐々に戻っていった。帰ってまず、そこら辺にあったヤマザキの「ふんわり包」を食べて、実家のような安心感。そりゃ実家だからな。