今日は一日遊んでました。麻雀したり、ダーツしたり。こういうときに、自分の中にもまだ男の子が居るってことを再確認します。負けたくないと本気になっちゃう。たかだかゲームなんですが。この男の子性があることは少し誇らしいような感じです。ずっと持ってたいです。
続々々
いや、お前の心の弱さはどうなんだ……てな話にここからずれていくんで、続いてないんですが。
Twitterとかで、流れてきたり不意に目にすることになるつぶやきに一人憤っていたりする(そこでは何も言わないけど)。
玉石混交どころか、ただの誹謗中傷だったりするのだから、無視してしまえばいいのだけれど……。
とにかく何か言うのは簡単だ、つまらない言葉で溢れている。「批判するのは自由」なんて言うけれど、そういう人ほど発言に責任を負わずに適当だったりして、腹が立つ。
問題になるのは、そうした発言ではなく、それを見たときに平常心をいかに保つかなのだが、簡単には行かないのが人生。いまだコツがつかめない。こころおだやかに、すこやかにくらす、それができたらなぁ。
続々
つまり、これからって話で、考え始めるとうーん分からない。知性に対する信頼のなさ。
知識があるということが、知識をもてる階級であるということと結びついて、ある序列を作っていたようなあり方はもうなくて、「それもいいけど、これでもいいよね」な相対がある。
発言はすべて私的な欲望から来ると考える私は、ルサンチマンからなる敵愾心が別の対象に向くことでしか解消されないと思っている。
続
私たちは、こんな本屋になることを望んだのだろうか。そして、ビジネス書を買い求める多くの人たち……
こんなはずではないと、このままではいけないと私たちは考える……そこで読むのがあの自己啓発などという地獄。
気分に合わせて、本を消費していく。もっと悪くなっていく。
そんな私たちによって作られる社会。それが良いものであるならば、それはそれでいいけれど。
こんな事考えるのは、私が馬鹿だからなのか。「違いない」とも思う。それだけじゃないとも思う。