現実で「もっと言い方があるだろ」って言われるときは、しおらしくしていろってことだったりするけど、とにかく、ほとんどのこと、あるいは人は、内容ではなく言い方が大事なのだ。
あえて印象で大掴みにするなら、定型は(紋切といってもいい)、麻雀の役牌みたいな感じだ。それがあれば上がれちゃう。……だから、それで良いといえなくもない。
良いなら良いんだけど、もうちょっと注意した方がいい、すっと入る言葉こそ怪しいのだから。
現実で「もっと言い方があるだろ」って言われるときは、しおらしくしていろってことだったりするけど、とにかく、ほとんどのこと、あるいは人は、内容ではなく言い方が大事なのだ。
あえて印象で大掴みにするなら、定型は(紋切といってもいい)、麻雀の役牌みたいな感じだ。それがあれば上がれちゃう。……だから、それで良いといえなくもない。
良いなら良いんだけど、もうちょっと注意した方がいい、すっと入る言葉こそ怪しいのだから。
※ミッションインポッシブルを4Dで観て、考えたこと。
その……何だという。その可能性とか、その効果とか考えたんですけど、どれもしっくりこなくて。
4D観てみたんですが、4D演出ってまだ整備されてないんだなぁと思いました。主人公が殴っても、殴られてもイスがドンとなって、俺はどの立場なの?ってなっちゃっいました。
あと水に飛び込むシーンで、顔にシャッとミストをかけられるというガッカリもあり。とりあえず水関連のシーンにはミスト使っておけという考えなのでしょうか。それはどうかと思いますよ。
映画は、長く視覚と聴覚の芸術で、今でもほとんどそうですね。全てが変わるとは思えないですが、一部これが(おそらく)味覚以外の感覚すべてに訴える芸術へと変わる。映画館がアトラクション性を高める。
また一方で、オンデマンドが広まる、スマートフォンの画面で観られることも想定しなければならない。
個人的には、これからどうなっていくのか、楽しみです。もともと映画になじみがなく、ごく最近になってから観だしたので、変わっていくのが寂しいとかそういう気持ちもないし、ただ、その進化(?)が楽しみで。
まーそうですねぇ、4D、こけたらイスをマッサージチェアとして使えばいいとおもいます。
昨日、未公開のブログ記事を読み返してて、つまらなかった。文章が、なんかどれも代わり映えしない。
内容と書かれ方の関係を考えてきて思うに、内容の問題かなと。
書きたいというみずみずしい動機がないと、どうしても遊びが多くなる。それは、
何かを伝えるための工夫から離れていく。
どうやって、書きたいことを見つけるか。いや、書きたいことがあると思い込むか。やり方を見つけないといけない。でないと書けないので。
微妙な話題ばかりで、いかんなと思うのだが、信じることに反対だという話である。
「はんた~い!はんた~い!信じることはんた~い!」
狂信的になるなよー、危ないぞーつうのは今更言っても……な感じだが(東京ポッド許可局的には「半信半疑」ですか)、それでも声に出し続けていかなきゃいけねーなーちゅうことを思う。
分かっていてもはまる、誰だって危険だ、みな自分は例外だと考えがちで、それは俺もそうだ。
何が正解かは、あとにならないと分らない。間違いを信じさせようとするのは、騙すつもりの奴も、目立つつもりの奴も、そんな気なく、真実を語っているつもりの奴もいて、だから、一つでは駄目なのだ。
ずっと言わなきゃ。思考停止に陥らず、宙ぶらりんで依るところがないって状態で頑張れ。って。