ブログ「いらけれ」

「※筆者頭痛のため、休載いたします」という訳にはいかないのだろうか。いかないのだろうなあ、プロたるもの。後藤さんはプロじゃないっつーの。そういえばこの前、ブロガーって肩書きの人を見て、ブロガーってどうやったらなれるんだろうって思った。何の専門性も無い人がブロガーになったところで、結局は、物を売ったり広告したりすることで収益を上げるんだろうけど、それならば、僕はいいやとも思った。

ある時から諸相が変わって、「無思想様」と名付けた人が誰なのか、今ではもう知る人はいない。僕は大学生だったが、その呼び名がピッタリだと思っていた。教養科目の講義は、どれも僕を楽しませたが、それが役に立つことはなかった。季節は春だ。地球は二つあった。
僕の見知らぬ友人が死んだのは、とても低い確率を引いたからだ。平均寿命は、その年齢になるまで皆が生きられるという指標ではない、当たり前だが。石油王の息子で、思慮深い人間だった。「無思想様」に対して、敬虔な祈りを捧げることを欠かさなかったが、でも死んだと僕が書くから、僕はその男を殺すことができる。
つまり、創造主の手の中にあり、創造主の意志通りに物事が動かされるのであって、決定論的にすべてが決まっているのだと考えるのは自由だし、それがその通りだとしても、決して思想があるとは限らないということだ。創造主だって、理由なく登場人物を殺すっつーの。
貧困を、飢餓を、非業の死を、昼食のメニューを選ぶときのように、その日の気分で選択して、キャラクターに与えた小説家。そんな惨たらしい書物だって、紙魚とってはご馳走だったようだ。動き回っていたそれの上に僕が親指を被せたとき、殺すつもりがなかったなんて言えない。小さな悲鳴を、聞いた気がした。

このところずっと、書くことが無いって悩みながら、トイレに長居したり、湯船から出なかったり、寝たりしていた。見聞を広げなければならないでしょうか、それはめんどくさいなあと思うので、僕は楽器だと思うことにした。ただ脳を、楽器を鳴らすように使い、楽器が鳴ったときのように出力する。音は、ある一曲を構成するために鳴らされるのではない。鳴らされた音が、ある一曲を構成するのだ。鳴らし続けた音が、独りでにメロディとなるまで。


Sufjan Stevens, “Fourth Of July" (Official Audio)

The evil it spread like a fever ahead
It was night when you died, my firefly

ブログ「いらけれ」

13時半から、「Twitter文学賞」の結果発表の生中継を見ていた。僕の評論好きは筋金入りだから、初回から見ている。ユーストリームで配信されていたころから見ているのだ。しかし、そこで紹介されていた小説は、ほとんど読まない。情けない人間だ。

途中から「Mリーグ」のファイナルシリーズも始まって、なんて楽しい日なんだろう。ヤクルトスワローズのオープン戦も、同じ頃にプレイボールされていたが、リアルタイムでのテレビ中継はなく、19時から録画放送があるのみだったので、娯楽の多牌でテンパることはなかった。とりあえず、「Twitter文学賞」は後回し、「Mリーグ」の対局をライブで見て、ドキドキすることにした。

麻雀は面白い。麻雀が面白いのは、選択の及ぼす影響のカオスが、麻雀卓の上に現れるからだと思う。例えば、ある選手が加点を重ねて、比較的点差の離れたトップ目に立ち、オーラスを迎えたとする。この場合、トップ目にいる選手が、有利であることは間違いないハズだ。しかし、事はそう単純ではない。

点差が離れたことで、2着目以下の選手は大きな点数のアガりを狙うことになるだろう。そうなれば、僅差の局面とは選択が変わり、切る牌が変わるだろう。もちろん、無理矢理高得点を狙っても、大抵の場合は上手くいかないのだが、極稀に、奇跡のような大逆転が起こることがある。

この時、逆転した選手がツイていたとか、上手かったということもできる。それはそうだろう。だが、もしオーラスが違った点差状況だったら、どうなっていただろうかと、想像することもできる。その場合、最終的に逆転した選手が、そこまで高得点を狙わなったことにより、アガりを逃した可能性すら考えられないだろうか。では、オーラスをトップで迎えた選手は、大きな点差をつけてしまったことが失敗だったのか……?それならば一つ前、二つ前に、持てる技術を駆使し、熟考を重ねて選択し、少しでも点数を得られるようにして、アガりを決めたのが間違いだったということか……?などと、考えだすとキリはなく、卓上の宇宙に思いを馳せるのであった。

「Twitter文学賞」に戻る。途中、国内編の一票しか入らなかった本のなかから、オススメを挙げるというコーナーの、大森望さんの紹介で気になったので検索し、『トランスヒューマンガンマ線バースト童話集』の著者、三方行成氏の書いた「流れよ我が涙、と孔明は言った。」を、カクヨムというサイトで読んで、何度も声を出して笑った。発想に制限がない感じと言葉遊びの感覚に、これ、立川吉笑さん好きそうだなあとも思った。面白かったので、僕は元気になりました。

ブログ「いらけれ」


【歌詞つき】Gloria(live ver) / FoZZtone[official]

苦しみは それ自体が目的のような
フリをする お人好しは死んでいるようだ

(承前)その後は、ほっといていたんだよ。それで、気分よく過ごしていた。「AQUOS sense2」は、安さに見合ったパフォーマンスって感じだけど、ゲームとかやらない僕にとっては、それで問題なかったし。なにより、さすがに二年使ったスマホより、だいぶバッテリーが持つなあと、感動していたし。

ほっといていたのは、面倒くさいのもあったし、実際、まだ新しいスマートフォンでは、インストールできてないアプリとか、ログインできてないサービスばかりで、整理が終わってなくて、画面を開く度に引っ越し直後の部屋みたいだと思う。段ボールにつめるように、アプリは、とりあえずフォルダに収めてある。それと、月末に登録申し込みをしたんで、できれば無料期間を月初にスタートしたいという思いもあって、どういう契約になってるのかイマイチ分からないが、一応、Apple Musicアプリは3月から使い始めようとしたのだが……。

ここで、もう一度auに問い合わせることになる。アプリを開いても、「auからの登録はありません」というメッセージが表示されてしまい、手順を進められないのだ。しかし、もちろんauのサポートは役に立たなかったどころか、電話口の相手が、遠隔でスマホの画面操作をしていたのだが、明らかな誤操作をして、「これ、違うと思うんですけど」と、こちらが説明する始末。待たされ待たされ、もたもた画面を操作され(自分でやりたい……)、一通りの対処をしたところで、結局、「電源を切ってみて(SIMを挿し直してみて)」と、「それでもダメならAppleに問い合わせて」という、屁の突っ張りにもならないアドバイスをいただいた。それだけだった。

Appleに電話する。auに電話したときも「サービス向上のために録音させていただいています」って音声が流れて、その時も思ったけれど、やっぱり監視されているようで息苦しさを感じるし、後からいろいろ言われるだろうサービスセンターの人を不憫に思ってしまう。もちろん、センターの人を理不尽なクレームや強迫から守るという意味もあるのだろうが。

Apple先生のサポートは、なんか言葉使いがフランクでビックリする。若干の馴れ馴れしさ。症状を伝えたところ、「初めてのケースなので、時間をくれ」と言われた。その後、Apple側からauに電話をかけたようで、会社同士でのやり取りに発展したらしい。つうか、そういう連絡は事前にやっとけや、と思わなくもない。折り返しの電話までもらったが、ここでも、事態が好転することはなかった。

「auに確認したところ、申し込みが適用されるのに一週間かかるというから、待ってみてくれ」と言われたが、だったら、auに電話したときに、「こちらの登録は済んでいるから、appleにその旨を伝えてから相談してくれ」と断言されたのは何だったんだ?それに、ツイッターなどでは、機種変更して即使えている人もいるようだぞ?

絶対に、どちらかが間違っている(か、スマホの不具合?……仕組みが分からないので、原因も分からない)はずだ。登場人物が馬鹿しかいないよ。なんで、こういう不幸ばかりが俺に起こるんだよ。このことで頭がいっぱいになって、マスクをつけ忘れて家を出てしまったよ。こんなことに、休日を4時間ほど費やしてしまったよ。

もう怒りを通り越して、どうでもいいやって思っている。そして驚くべきことに、そう、この問題は決着がついていないのだ。果たしてどんな結末を迎えるのか……ご期待を乞うほどでもないが。

Gloria 悟りそう Gloria もう悟りそうだ
Gloria 嵐の中 Gloria 心は凪いでいた

ブログ「いらけれ」

壊滅的である。そもそもが、Twitterに流れてくる流行りのnoteなどを見るにつけ、何の教養もなく知識もない自分に苛立ち、ブログを書くという気持ちの著しい減少に見舞われており、どうでもよくなっていた真っ最中だったのだ。そして、先程まで東京ドームで行われていたオープン戦で、相手チームのエースにきっちり抑えられ、4番にきっちりサヨナラホームランを打たれたことも、少しは影響しているのだろう。ああ、嫌だ。

携帯電話の機種変更をしたのは、先週の火曜日だった。これから始まるのは、本当にただの愚痴である。読んでいて、面白いものではないだろう。しかし、心が壊滅的な今は、それでもいいと思ってしまっている。ちなみに、登場人物はauとappleである。

ショップでの手続きに、想定していたよりも時間がかかったことは、こちらから、不明点を尋ねた部分もあったので、納得している。そのせいで、周りの飲食店のランチが終わっていたことと、髪を切る暇がなくなったことも、仕方のないことだ。「故障紛失サポート」というオプションが、何の説明もなく付けられていたのも、まあ良しとしよう。壊すと手厚く補償されるようなので、壊すように使うつもりだ。わざわざメールが来ていたので、「誕生日月の人には、プレゼントがあると聞いたのですが……」と、スタッフに声をかけたら、「全部捌けたんです」と言われたことが、一番腹立たしかった。「もれなく」って書いてあったから。もれたから。

でもまあ、流石にここまでならば、寛容な私なら忘れてしまうようなことだ。問題は、機種変更と同時に申し込んだApple Musicの無料サービスだった。

まず、auショップでの申し込み時に、こちらも説明をされなかった。家に帰って、もらった紙袋を探ったところ、契約書などと共に利用開始の手順が書かれた紙を見つけた。だが、手順の最初に書いてある「届いたSMSのURLから……」の、SMSが来ていないので、お問い合わせに電話をする。

ただこれは、SMSで届いたURLでなければならないというわけではなくて、よく見れば、手順の紙に「こちらからでも手続きが出来ます」と、QRコードが書いてあったし、auの公式サイトのヘルプにも、URLが記載されていた。だから、これは私のうっかりだったわけだ。しかし、それならば「SMSが届いてないんですが」という電話口の私に対して、すぐにそのことを教えてほしい。そういった対応を、サポートには期待しているわけだが、相手から出る言葉は、状況自体が分かっていないのではないかというもので、若干不安になる。『調べたところ、Apple Musicの申し込みは済んでいる、だから使える』というようなことを、過剰な敬語で話す相手に対して、「だから、申し込めていたとしても、URLがないと始められないのですが」と、ややキレ気味なってしまう。なんとか状況を説明し、URLを送ってもらうところまで漕ぎ着けたときには、長すぎる音声ガイダンスと、オペレーターに接続するまでの待ち時間も合わせて、15分ほどかかっていた。(続く)