ブログ「いらけれ」

「現実は厳しい」って言葉は、「自分は辛い思いをしている。(だから、お前もしろ。)」に、心の中で変換する(みんなも
、してね)。
それだけで現実派気取るんだから腹が立つ。

冷静だとか、現実的だとか、はっきり言ってみっともない。

承服しがたい状況なら、なおさら現状追認しない態度をとるべきだ、それが出来ないなら生きている意味がないだろう。

なんつって。

ブログ「いらけれ」

解けない謎の謎解きをし続けるしかないのではないか。

映画の事を考えていた。あと、面接に落ちるという事。

それらは問いとしてあり、かつ正答のないものとしてある……。

言葉としては「解釈」でもいいかもしれない。
私達に先行して問題が存在し、それは、降りかかってきたり、前から飛んできたり、立ちはだかったりする。

正しい答えにはたどり着けない。どれだけ頭を使って出した回答も、答え合わせができないのだから。

でも、これはマイナスじゃない。と思う。
なんとなく、そういうのも悪くない。と思う。
豊かだ。と思う……。

ブログ「いらけれ」

出られない環境がある。
多孔であるということは、だだ漏れに出ていくと同時に、過剰に入ってくるということだ。
かなりの部分がつながりを持っていて、網目状で、出口が無いというか。
ソーシャルと、個人の関係。

「脱走」すべき、と誰かに言ってもらいたい。
と、いうところから切れて、独りでも居られる個人としての自分を。

ブログ「いらけれ」

「今がダメである」として語ってもいいけれど、○○の頃は良かったと言えば、その時代の失敗や過ちが思い浮かぶから、今がダメなように何時でもダメである。

誰にとっても素晴らしい世界などないから次善の策をとる、とろうとする。そのために努力をする。

当たり前の事をいうのは恥ずかしいが、たまにはいいたい。