厚み

ブログ「いらけれ」

書くのが憚られるような、あまりにも強烈な夢を見て起きた。精神が激しく消耗しているらしい。そうらしいことは、部屋の床にたまったゴミによって視認できていたし、昨日、日記を1文字も書けないままに1時間、ただただパソコンの前でミックスナッツを食べてたときに、強く自覚していた。

この世界の、どこを探してもいないウサギを追いかけているみたい。上手く言えないけれど。強く生きているなんて言えないけれど。

職業病なんてない。いや、胸を張ってそうだと言えるほど、職業をしていない。だから、耳を澄まさなければ聞こえない声で、僕は話し始める。
日付の上に、どこかの風景写真。これはカレンダー。その左下に場所の名前があって、さらにその下に場所の説明が書いてある。キャプションと呼ばれるそれが、目に入ってしまったから、消極的に読む。
まず第一に考えなければならないのは、文字数だ。スペースは限られているから、あらかじめ定められている。3行で、およそ100文字。美しい景色を持つ場所だ、説明しきることなんて到底できない。しかし、できることはあるはずだ。そう考えていなければ、書き始めることすら難しい。
状況がテクニックを要請する。あるいは、姑息な手段を使う口実ができる。僕たちは武器を持っている。あるいは、読み手の勝手さが武器となるというか。
よく読むと、1行目と2行目はつながっていない。書き手の、苦心した跡が見える。ただしそれは、注意深くなければ見つけることのできない痕跡だ。普通は、普通に読み、普通だと思うだろう。
映画のモンタージュ理論に近いと、そう言い切ることができないのは、僕が映画に詳しくないからだ。1行目で、きちんと雰囲気を提示できれば、読み手の頭の中に世界が生まれる。世界を生み出すことさえできれば、読み手は、その世界を前提として次の行に向かう。それゆえ、前後のつながりは必要とされなくなる。やらなければならないのが、その世界を鮮明に活写することに移る。
日記について、こんなことを考えて書いているわけがない。一銭にもならないんだ、やめてくれよ。そんなのは自分ですら期待していない。でも、金儲けのときは結構やっている。短い文章で惹きつけたいと思うと、どうしても劇的にしてしまう。あと、接続の手間が省けるから、情報量を押し込めて便利という事情もある。そういう文章を書きながら、「ああ映画的だなあ」と、そう思っている。
画面から目を離したあなたが、そこにある文章を読んでくれるように、僕は願う。電車内の中吊りでもいいし、ポストに入っていたチラシでもいい。説明書はちょっとあれかもしれないけれど、ネットに転がっている芸能人の記事でもいいよ。あなたが注意深ささえ手放さなければ、読む時間のなかに、映画的な瞬間が訪れることだろう。


Rex Orange County – 10/10 (Official Video)

Give myself a little credit
Since I dealt with all the pain

元気が出る良い曲のおかげで、多分、もう大丈夫だよ。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤