ブログ「いらけれ」

とにかく九段下に馴染みがなくて、スマートフォンの地図と、にらめっこしながら歩いていたら、大した距離を移動していないはずなのに、なんか辛い。辛いと思って顔を上げると、道が目の高さにある。坂を上っていたことと、それがまだ続くことが分かる。昨日までとは打って変わって、秋としては高くなった気温のせいで、汗ばんでしまう。こんな日に歩道橋を渡るのは無理だから、二松学舎大学の、大きな道路を挟んだ向かいの「イタリア文化会館」で、留学案内のイベントが行われていることも知った。

大きく遠回りして、目的地である地下のホールにつながる階段の前に立って、階段に寝そべる男を見つけてビビる。開場までは、まだ時間に余裕があったから、一旦逃げることにした。離れたところにも校舎があるというが、キャンパスというより中庭といった風なスペースをぐるりと一周。都会のど真ん中でこじんまりという感じ。ここに通っている人は、どんな大学生活を送っているのだろうかと、そこのベンチに腰掛けて想像する。

そういえば昨日、「オープンキャンパス以外で他大学に足を踏み入れたことはない」と書いたが、これは記憶違いだ。去年の11月の日記「West Gate No.3」で、早稲田大学の敷地内に入ったことをバッチリ書いている。読み返して、書き直したくなった。

外には、自販機に缶を詰めている人しかいない土曜日。でも、ガラス張りになっている一階のラーニング・コモンズ(ってなんだよ)の窓際には、ノートパソコンを見つめる人がびっしりと並んでいて、何も知らずにその前を通った僕は、うわっと驚いて遠ざかった。ゆえに僕は、ラーニング・コモンズ(だから、それはなんだよ)からは見えない場所に座っていた。家からは、菓子パンを持ってきていた。いつだって準備が良いところが取り柄。暖かな日差しを感じながら、袋を開けて食べ始めたら、近くのイスに男の人が座った。一人目になるのは難しいし恥ずかしい。しかし、一人目が一人目になれば、二人目はすぐに生まれるのだ。

時間になって、男のいなくなった階段を降りて、受付をして、中の自販機でカルピスソーダを買って、すべてが小さく小さくなっている国に悲しくなりながら、ソファーで飲んだ。プログラムだけではなくて、厚い資料ももらえたから、パラパラとめくった。それがすでに面白かったから、どこまでお得なんだと叫びたかった。ほどなくして、ホールが開場となって、立派なドアの向こうを見た僕は「でかっ」とつぶやいた。調べたところによれば、中洲記念講堂という名前のそれは、415もの人間を収容できるという。どうりで。

こうして準備は整った。明日からは、そこで見たもの、聞いたことについて書くだろう。こうして、迂回に迂回を重ねてしまった理由も分かってもらえるはずだ。なぜなら、イベント内容を記述することの難しさから、文章は始められる予定であり、それは、漱石をアンドロイドにすることの問題点とつながっているからだ。

今日の抜き書き。前回の続き。

~きわめてむずかしいと思われます。人生がそのような形で課してくるものを受け入れて—つまり、私たちにとりつき、私たちをあおり立て、しかもしばしば私たちの内深くにひそみ、生と神秘的な形で合体しているものから出発して—はじめて、より確固とした信念とエネルギーをもって<より良いもの>を書くことができるのです。

バルガス=リョサ、木村榮一訳『若い小説家に宛てた手紙』株式会社新潮社、2000年、p.28-29