「文学フリマ」というものがある。公式サイトによれば、それは「文学作品の展示即売会」であり、そして、その文学の定義とは、「自分が〈文学〉と信じるもの」であるという。つまり、本やコピー誌でなかったとしても、CDやTシャツだったとしても、作者が文学だと胸を張るものであれば、店を出して、並べて良いという。
僕がなぜ、略して"文フリ"と呼ばれているこのイベントに参加、参加といっても出店したわけではないが、したのか、そのきっかけを話すと長くなるというか、どこまで遡ればいいのか。さっぱり分からない。ハロウィンの渋谷には行かないが、文フリには行くような、それは教室で一人、古典として知られているわけでも、ベストセラーでもない小説を読んでいた時から決まっていたような気もするし、それならば、そのような人間になった理由を、さらに時計を巻き戻して、探らなければならないだろう。
とにかく、少し前に偶然の出会いがあり、紆余曲折を経て、同人誌を出してみたいという気持ちになり、しかし僕は、同人誌がどういうものか、まったくと言っていいほど知らない、知らないままで作れるはずもないのだから、それならば、ツイッターでフォローしている人たちが口々に宣伝していたあれに、行ってみようと思ったのだ。きっかけがあり、動機があり、欲しい本があり、時間があった。それでもどこか尻込みしている自分の尻を叩いた。
朝に起きて、昨日買った袋麺を食べた。西友のプライベートブランドの、かなり安価な塩ラーメンだったが、普通に美味しかった。準備を終えて、昼前には家を出た。西武線から山手線、乗っている間は『いろんな気持ちが本当の気持ち』を読んでいた。派手ではない良さでいっぱいだった。そこには文学があった。会場の流通センターでは、文学と出会うことができるのだろうか。疑いを抱きつつ、京浜急行に乗り換えた。
降りた平和島駅は、最寄りではない。数百円をケチったのだ。30分ほど歩かなければならなかった。上り坂と歩道橋があって汗ばむ。何人かが、同じ方角へと向かう。何人かは、その方角からこちらへ来る。同じ目的を持っていることが、雰囲気で分かって、心強い。
結局、モノレールの流通センター駅の前を通らなければならず、そこでやっと、たくさんの人出があることを知った。それは想像していた以上だった。名前の中に文学と入ったイベントが、大勢の人を集めていることに驚いた。しかし、文学は売れないと聞く。文学が売れないのだとしたら、文学ではなく、フリマに集った人々だと考えるべきなのかもしれない。誰もが体験を求める時代なのだから。(続く)