ブログ「いらけれ」

これは一つの告白になるが、昨夜、このサイトがどのように動いているのか、分かっていないということが分かった。アドセンスの自動広告コードも、アナリティクスのトラッキングコードも消したのに、広告は入り続けているし、アクセスは収集され続けている。おそらく、過去に追加したコードが残り続けてしまっているのだろうが、それがどこにあるのか、探し方さえ分からない。その程度のものである、その程度のものであることを、心に留めておいてほしいものである。

ここんところ色々あったから、『若い小説家に宛てた手紙』を買ったことも書いてないし、だから当然、届いたことも書いてない。借りた本は、やっぱり心の負債で少し重たかったから、所有で気分が晴れた。部屋に置いたままになってる本を返せば、もっとすっきりするだろう。ということで、今日の抜き書き。

自分自身の内に潜んでいる悪魔を忌避し、あのテーマは独創的でもなければ、魅力的でもないといって捨て去り、こちらの方が扱いやすいと言っていくつかのテーマを自分に課す作家、こういう人たちはとんでもなく大きな過ちを犯しています。

バルガス=リョサ、木村榮一訳『若い小説家に宛てた手紙』株式会社新潮社、2000年、p.29

小説の創作論を読んだところで、創作しなければ意味がないとは言わない、何よりもそれは、小説の読み方を変えるからだけど、しかし、創作してないのが恥ずかしいと思う出来事があった。考えもなく冗談を書いてはいけない、後々、自分を苦しめることになるから。

毎日が日記を書くことに支配されていたら、そのようにして、日記という悪魔に書かされたことが起点となって、声をかけてもらえることがあって、インターネットでの活動は大事だと思うようになった。それは、会うというきっかけがあっても、時間もないし、連絡先も知らないし、初対面で聞くのもあれだから、心残りを抱えながら帰らなければならないというとき、もしかしたら誰かも、そう思ってくれているかもしれないとしても、窓口がなければ、二度と会うことはない。これは窓口だと割り切ってしまえば、こんなものでも役に立つというのならば、やらないよりも良い。

二車線の真っ直ぐの道なりに移動すると、左側の建物の向こうに、見たことのない大きさの月は、まだ出立てなのだろうが、近くで見るアンパンマンの顔ほどあった。驚いたから写真を撮ったら、お節介なフラッシュが焚かれて、それを人工衛星が見ていた。そこまでしても、手の中の月は、まったくもって大きく見えなかった。
厚手の上着に切り替えて正解だった。その選択だけが間違いではなかった。家電量販店に向かっていたのは気まぐれだった。いつも頭を悩ませていたから、『東京ポッド許可局』の局報のコーナーを聞いて、コミュニケーションの下手なおじさん(おじいさん)が多すぎることについて、日記に書こうと思った。それまでもそう暮らして許されてきたのか、それとも加齢によって、そうなっているのかも気になるところだが、とにかく、何かを教えられる、その立場にあると考えている尊大さと、他人の心を思えない(思わない)勝手さに、呆れてしまうことが多い。僕だって褒められた人間ではないが、そうならないように気を付けようとしているだけマシかもしれないと思うフロアには、客よりも従業員の方が多かった。クロームキャストとか、そういうの(ああいう機械って、なんて呼べばいいのだろう)あるかなって思って探したけどなかった。
店を出たら、すっかり暗くなっていた。上方に移動した月は縮んでいて、とても寂しい気分だったから、下を向いて帰った。うっかりしていたら、涙がこぼれてしまいそうだった。歯を食いしばったら、頬が冷たい。