ブログ「いらけれ」

月曜日に放送されたNHKラジオ第1『すっぴん!』を聞いていた。お便りのテーマは「どうでもいい話」だった。いつか見た夢のことを書いた投稿が少なくなかったようで、メールは何本も読まれていた。
私たちの間では、夢の話はつまらない、あるいはどうでもいいということの、コンセンサスが取れている。そのように考えても、差し支えないだろう。例えば、有名な音楽ユニット・スキマスイッチにも、そういったことを歌った曲がある。

スキマスイッチ / 君の話

昨日見た夢の話など興味ない 退屈さ
まわりくどい君の話し方なら なおさらさ

夢の話はつまらない、そして、どうでもいい。人々がそのように捉えている理由ならば、すぐに思いつく。それは、本当にあったことではないし、荒唐無稽なことも多いし、聞いたところで何にもならないものだ。しかし、こういった要素を持っているのは、夢だけだろうか。大抵の小説や映画が、落語なんて、そのほぼすべてが、そうだとは言えないだろうか。それらは、フィクションで出鱈目な暇つぶしなのだから。なのに、小説/映画/落語……などは、フィクションで出鱈目な暇つぶしだから、つまらない/どうでもいい、とは言われない。
もちろん、語り手の技量という問題はあるが、それならば、つまらない奴の話すことはつまらないというべきで、つまらない奴に、本当にあったことを「すべらない話」として語られても、つまらない奴だからつまらない。
夢をつまらないと、くだらないと、私たちは言いたいのだ、おそらく。なかには面白い夢もある、それは承知の上で、どうでもいいものにしておきたいのだ、多分。眠ってしまった後には、何を見るのかも分からず、その上、目が覚めれば儚く消えてしまう夢が、大切なものであってほしくないのだ、きっと。きっとね。

びっくりしながら玄関の前に立っていた。靴を履いて外へ出た瞬間に、ひとまず安全な内側と、危険が溢れている外側は違う、しかし、内側のイメージは、温かいだけのものではない、そこには、皮膚の裂け目から見える内臓のグロテスクさがある、グロテスクな内側を外側から、あるいは内側から外側を覗き見できるのが窓で、「目は口程に物を言う」というが、それは、微細な目の動きが、その人の心情を表しているというよりも、世界を覗くもの=目は脳の窓であり、こちらから見えるということは、あちらからも見えるということで、二つの球の向こうにいる本当の私が、あるいはあなたが、見えてしまう場所ということなのではないか、と、ここまでが一息で浮かんだからだ。家を出ただけで、こんなことを考えてしまう人は、生きていくのが大変そう。辛そうで、かわいそう。

そんな僕ですが、12月は面白いことになりそうで嬉しい。本当に運が良い。人生を楽しむコツは、運を良くすることだけど、その方法は分からない。とりあえず、感謝だけは忘れないようにしようと思う。その心を無くしてしまった尊大な僕は、見るに堪えないだろうから。