ブログ「いらけれ」

将棋に負けたことについて、何か言い訳をするつもりはないけれど、昨日の日記を書き終えたのが20時になってしまったのは、どれだけ厳格な神様だって、雷親父だって許してくれるはずだ。4時に寝て7時に起きた寝不足の人間が、休憩時間を含めて、将棋大会の会場に居た時間よりも、行き帰りの車内に座っていた時間の方が長かったのだから、家に着いてすぐ眠ってしまったのも仕方のないことだし、翌日には、まだ辞めてない仕事もあったわけで、むしろ遅くなって当然だと言える。日常はかくも厳しく、毎日書くのは大変だ。それでも進んで行く先に、何があるのかわからない暗闇だからこそ、浮ついた詩のような言葉を残していこうと思う。

もらったお菓子詰め合わせの「マドレーヌ」の包みを開けて、一口食べたら最中の皮で驚いたけれど、衝撃は続いて、とても美味しくて倍驚いたんだ。

花を入れる花ビンもないし、賞状を入れる額縁だってないんだと、ブチ切れつつ歩道を移動する。注文した「バトルライン」が未だに届かないのは、10月下旬から11月上旬にするって言ってた再入荷ができなかったからなのかな。月が変わったから、NetflixとDAZNに入会しようかと思うものの、ならFire TVを購入してからにしたいなどと考えて、結局やめてしまう。入会しているApple Musicは、CDから取り込んだ音楽がライブラリになくて、再取り込みをしなければならなかった。スマートフォンの本体にダウンロードしたはずの曲が聞けなくなることもあるし、本当に使えない。
半袖に薄手のパーカーだと寒い。風も吹いている。ひんやりとした空気は、人生のことを思い出させるが、午前中に部屋に出て、どこかへ行ってしまった蜘蛛と、新しくしたオープン型オンイヤーヘッドホンの、ふかふかとしたカバーの触感しか思い出せない。そうだった。使っている内にカバーが外れるようになって、外れたカバーを手で直しても、それまでとは触り心地が大きく変わってしまって、忘れてしまっていた。けれど、そうだ。一方でしっかりと、それでいて柔らかかったんだ。印象に残っていること、思い出しやすいことばかり思い出してしまう。思い出せなくなってしまうのならば、どうして今、飴を舐めているのだろうか。
忘れてしまったことを思い出したい、それは、小学4年生の頃の担任だった女性教諭が、昨日子どもとお風呂に入っていたら、その子がシャンプーを手に出さず、なぜかその日は頭に直接かけようとして、ポンプに押し出されて飛んだシャンプーが目に入ってしまい、ずっと洗っていたけれど、なかなか痛みが取れなかった、という些末なエピソードのような。その時、僕を消防車のサイレンが追い抜いて、商店街の向こうの団地の前で停まった。近づいてみたけれど、隊員の姿はそこになく、煙が上がっているわけでもなかったから、何が起きたのか分からなかった。この出来事を、僕は記憶しておけるのだろうか?忘れてしまったとしても、何の問題もないだろうけれど、やっぱり少し、嫌っちゃあ嫌だ。

今日の抜き書き。

小説家の証言を見ますと、これこれの物語、人物、状況、プロットが自分の人間性のもっとも奥深いところからでてくる要求のように自分に迫り、つきまとってきたので、それからのがれるためには書くよりほかに方法がなかった、と語っている点で一致しています。

バルガス=リョサ、木村榮一訳『若い小説家に宛てた手紙』株式会社新潮社、2000年、p.22-23