やり終えたときは、「もうやらない」と思った。昨日の朗読の話だ。6月26日の日記「02」に書かれている「やりたいこと」が、これだった。「自分で書いたものを自分で読む」ということに、ロマンを感じていた。ブコウスキーを読んだりしてるから、僕は。
「やる」とは決めていたけど、「何」を書くかが問題で、雨が降っていた昼間を避けて散歩した日に、歩きながら考えた構想があって、それは、ある男が夜に散歩する物語で、それに合わせて写真も撮ったけど、台本を読めば分かる通り、それはニュアンスしか残らずに、最終的にはポエムになった。
ずっと書けなくて、それはサボってただけなんだけど、日中は働いていたし、うだうだしてしまったから、19時から書き始めて、外は雷がゴロゴロいっていて、いつもはそんなことしないんだけど、しっくりこなくて、書いては消してを何度も繰り返して、そうこうしていたら22時。一応、書けたみたいだ。
雨が上がったばかりの夜中は、流石に人が少なくて助かる。涼しいのも助かる。ただ、どこで読むかを全然考えてなくて、家路につく人々と反対方向へ、近所の川の方へ行ったら、普段はほとんど水が流れていないのに、結構な濁流になっていて、そういうのが僕は好きで、朗読とかどうでもいいから、ずっと見ていたなと思った。
建ち並ぶ団地の間には、いくつかの公園があることを知っているし、この辺りを歩いた回数は数え切れないほどだ。でも、未だに地図が頭の中に入っていない。だって、全部似てるんだもん、団地。調子狂うなあ。
ザ・適当に進んで、隣が駐車場になっている結構大きめの公園のなかに、建物と道路から距離を取れるベンチを見つけて、思わずガッツポーズをした。この場所は知っていたけど(辺りをうろついているからね)、日中は、必ずと言っていいほど子どもが遊んでいるんだよね。まあ、公園はおじさんがポッドキャストを録音するところじゃなくて、子どものものだと思うから、それでいいんだけどね。
濡れていたから、ハンカチを敷いて、ちょっと落ち着いて、2分半。一回立ち上がって、50メートルぐらい行って、自分で気になる箇所があったから戻って30秒。下手とかなんとか、それ以前にビクビクしていて、声がまったく出なかった。あと、焦ってかなり早口になってしまった。
できたてほやほやの録音データをリピート再生しながら、「もう再録音もしたくないしなあ」と落ち込んで、遠くを見つめていた帰り道、団地の窓の向こうの、明かりの下に飾られていた抽象画が、やけに印象に残った。
22時半に帰宅。着替えたり、うだうだしたりで23時から作業開始。あまりにもダメダメだったので、結局、(これはもう、僕の朗読とは言えないのではないか……)と思うほどに、手を入れてしまった。違和感を覚えるところがあるとすれば、それは、音量が上げられているか、テンポが遅くなっているか、録音し直されているからだ。
こうして、昨日の裏話を書くことで日記にしてしまう。僕は、読んでもらっていることに甘えているようだ。何を書いても読んでもらえるだろうという甘えで、表現が死ぬ。そもそも生まれてもいないっていうのに。