僕が世界について考えていたとき、閉まったタバコ屋の前にはいくつかの自販機があったが、タバコを売っていたはずのものには一つのパッケージもなくて、想像を掻き立てられるとともに、その寂しさはこれからの日本みたいだと思う。道の反対から写真を撮って、おつりが出てくる口に何かが入っていることに気づいて、近づいてみたら石だった。この光景を見るために、今日の僕は散歩していたのかもしれないと思った。
花小金井の近くまで歩いてしまった。駅に近づくまでスーパーはなかった。始めに見つけたスーパーにあったものを買えばよかった。「一旦」という気持ちで出て、西友やいなげやを見たが、さきほどよりも高かった。それならばと入ったコンビニで、何を共に買うか迷う。非冷蔵で、今食べたくて……と、さまざまな条件をクリアしたスモークチーズは300円ぐらいした。キリンのハードシードルと合わせて500円は、貧乏人には痛い出費だ。
酒を飲んで歩きたかったのである。飲みながら歩くとどうなるか、己の頭と体を実験したかったのである。「ホームラン3連発 #3」では、自分の体にばかり興味を向けている人々を、少し疑うようなことを書いたが、同じようなことを僕もしてしまった。反省はしない。
暖かな陽気とリンゴ酒の組み合わせは、あまり良くないようだった。どんどんと温くなるシードルは、どんどんと腐ったような味になった。体は少し熱くなった。皆が仕事をしているときに酒を飲んでいるという事実だけが、気持ちを明るくしてくれた。
自転車道の並木の木漏れ日で、工事中のおじさんに見つからないように、ラベルを右手のひらで包むと、少しだけの冷たさ。父が入院していた頃、仕事をしていなかった僕が、よく歩いて通っていた病院がある。父の病室の窓からは、田無にある塔や学校のグラウンド、隣の病棟の屋上が見えた。屋上には植物が植えられていて、ベンチのような座れる場所もあるようだったが、そこに人がいるところを見たことはなかった。病院内のフロアガイドには、「屋上庭園」と書かれていた。父が退院したら行ってみようと話していたけれど、最後のエレベーターでは帰る雰囲気になって、その言葉は守られることがなかった。
工事現場の白い壁に、歩くことがどれだけ健康にいいか、その効果の書かれた看板が貼られていて、さらに、歩く前にするべき準備運動のストレッチも描かれていて、律義な僕は、絵を真似て首を動かしたり肩を回したりしたな。やっぱり酔っぱらっていたのかな。陽気に生きているのが、僕の良いところだな。