ブログ「いらけれ」

今日の体育は、バスケットボールだった。子どもの頃から、キャッチボールやPK戦で父と遊んでいた僕は、太っていたからスピードもなかったし、息はすぐに切れたけれども、球技は得意な方だった。ボールを上手に投げられるのは、結構特別なスキルであるということを、小学生の僕は理解していなかった。自分にできる程度のことは、誰にでもできると思っていたのだ。だから、野球の授業でセカンドを守っていたときに打球が頭を越えて、ライトの岩崎君がそれを追いかけ拾った後に、中継に入った僕に向けて、ぎくしゃくとしたフォームで投げたボールがあらぬ方向に飛び、地面に叩き付けられたとき、「何してんだよ」という言葉と、冷たい視線を投げ掛けてしまった。僕はこの後、多くの人にとっては簡単な、毎日中学校に行くということすらできなくなるというのに。

球技が得意なことと、ボールが回ってくることは違った。運動ができると認識されている人たちの間を、あの大きくて硬い、ぶつぶつとして、ボンッと跳ねるボールは行き来していた。なのに試合終了寸前、それは僕の両手の間にあった。しかし、どういう経緯でそうなったのか、まるで覚えていない。僕は、なるべく周囲に迷惑をかけないこと、下手なプレーをしていじめの対象にならないことだけに集中し、頭を使っていたからだ。パスかこぼれ球か、いずれにせよ、とにかくこうなってしまった。何とかするしかなかった。探せばパスコースはあったはずだが、無かったのは時間で、「打て!」という大きな声が聞こえた。これでシュートしなかったら、僕はどうなるか知っていた。ディフェンスをする同級生が目の前にいた。彼の手の向こうに、ゴールがあるはずだった。見えないそこに向かって、両手で飛ばしたボールは、大きな弧を描いてストンッと、赤い丸の中に吸い込まれた。それは、チームを救う値千金のゴールとなった。正直言って自信はあったし、いつも「僕にパスしてくれれば」と思っていた。でも、実際に決めたことはなかったから、奇跡のような現実にうっとりしていたけれど、それを悟られてはいけないキャラクターだったから、試合終了後に僕の所へ来て、「すごかった」とか「やったな」という皆に、それがいかに偶然の出来事で、自分でも驚いているのかということを、一生懸命説明した。

あの、僕にとっては特別な瞬間。でも、他の人にとっては特別ではない出来事。そこにいた誰もが、忘れてしまったことだろう。しかし、僕だけは忘れることができない。そのことを表すように、酒を飲んだ夕食の後にテレビを見ながらうとうとして、ついには1時間ほど眠ってしまった僕は、あの日を夢に見て、それはスローモーションで、美しいゴールだった。