ブログ「いらけれ」

とにかく眠気を追い出したくて、外を少し歩くことにした。汗ばむ。暑さとしては、これがギリギリだなあと思う。これ以上気温が高くなってしまうと、「歩く」という行為に含まれる成分のなかで、「修行」が「気分転換」を上回る。まあ、「修行」も続けていれば、いずれ快楽につながるのだけど。

エステサロンとかネイルとかジムなんだなあと思う。並んでいる店を見ながら。
数年前にランニングがブームみたいな話があって、それはつまり、多くの人々が自己投資に向かっているということで、その行きつく先が自分の体という結論だった。そして今は、誰もが筋肉のことを話題にしていることからも分かるように、その傾向が強まっているといえるだろう。
ランニングだって筋肉だって一つの文化なのだから、それで盛り上がるのは良いのだけれど、矢印が外ではなく内にばかり向かうようになっているのは、どうかなと思うところがある。たったこれだけの自分の体より、広い広い世界の方が面白いに決まっているのだから。

ビルの駐車場から車が出ることを知らせるサイレンが祭りの音頭みたいだった。ふぁんふぁんふぁんふぁん。誰も気づいていない日常に潜む祭り。カーニヴァル化する社会。

あまりにも当然に、初デートの記憶がせり上がってきたから、そのことを書こう。僕としては、彼女と一緒に過ごすことができればなんでもよかった。だから、どこに行くかも決めていなかったのではなかったか。彼女の家の最寄り駅に降りて、それで待ち合わせは改札前か何かで、文化系の僕らは、とりあえず駅近くのブックオフに入った。彼女は何も買わなかったように思う。と、自信がないのは、本質的に僕が、他人に興味がないからなのだろう。すでに『文化系トークラジオLife』を聞いていた僕が、本当に欲しかったのが半分、知的な面をアピールしたいのが半分で、少し汚れた『カーニヴァル化する社会』を買ったことは覚えている。

そこで人生は終わった。以降は、主に地獄を生きている、当然のように。当然のように、面接で嫌な目に遭うことになる。オッケー、大丈夫。こっちは慣れっこだ。勘違いで「勘違いしている」と怒られて、それが勘違いであることをこちらが指摘しても謝らない、という。カフカの小説だ、と思った。カフカは、不条理な世界を描いたのではなく、ただ世界のことを描いた。

この物語が、この先に、どのようにして意味を持つというのか。人生は小説ではないから、誰にも読まれないまま消える。