ブログ「いらけれ」

一度フォローして、それから嫌いになってリムーブした人の、何が気に食わなかったのかは忘れてしまっていて、単純な憎しみだけが残っている。それまで心の内になかった憎しみを、新たに生み出すことにかけては、SNSの右に出る者はいない。やっているのはコミュニケーションではなく、感情の極端な増幅なのだと分かっておくこと。

愛とは言うけれど。愛は、相手の嫌なところも受け止めてこそ愛なのであってみたいなことも言うけれど。応援している球団が情けない試合をして、何度も何度も負けていても、それでも応援するのが愛だとか、僕も思うけれど。誰かを好きになったとして、それから愛するようになったとして、それから好きになったきっかけだった何かが変わってしまったとして、それでも愛するべきだというのはまったくもって正しいけれど。でも、愛するきっかけになったものが全て失われた何かを愛するというのは、それはもう執着でしかないような気もするし。愛する相手が、僕に嫌なことばかりするように変わってしまっても、僕はそれを愛し続けるべきなのだろうか?

人の心を操作してグッと引き込むとか、感動させるとか、そういうことが足りないのは分かっている。みんながそういうのが好きなのもさ。でも僕は、文章を使ってそれをしている人に対して、警戒感を持ってしまうし、忌避してしまう。ミスディレクションは、手品師に任せておけばいいと思う。僕の思い通りに、意図通りに心が動くのではなくて、勝手に何かを思ってほしい。ライターには向いていないらしい。

替え歌が好きなんですよねずっと。「伊集院光の深夜の馬鹿力」のコーナーで、今なら「あの歌はこう聞こえたら、もうオシマイ」も好きだし、あれを楽しみに聞いているようなところもありまして。とにかく「青春時代クソミュージックボックス」が好きで、もう全部を通しで4~5回聞いているわけですが。だいたい空で歌えるっていう。
何故替え歌が好きなのか、そこにしかない言葉のジャンプが好きなのかなと思います。替え歌は何を言っても自由だから、替え歌には、普通無いようなシチュエーションであるとか、普段口に出されないような文章が歌われるという、そういうナンセンスな感覚というのがもともとあるわけですが、もう一方には、元曲との重ね合わせ、結婚式の定番曲をまったく違う歌詞にすることによる、元曲とのズレの面白さのようなものがあり、二つの意味で"変な言葉"が聞けるんですね。また、その変な言葉が、音、メロディといったものと、まったく新しい関係を結ぶところも、インタレスティングだなあと、そう思うんです。
急ですけど、「青春時代~」で僕が好きなのは、うーん全部いいけど、やっぱり「Boy Meets Girl」とか、「どんなときも。」、「青春時代」、「ラヴ・イズ・オーヴァー」、「さよなら人類」とかですかね。ネットのどこかにあるので、ぜひ探して聞いてみてください。