ブログ「いらけれ」

昨日は、時間がない中で頑張って書いたので(「『未来のミライ』を見た」ですね)、基本的にはそちらを読んでください。そんな毎日毎日、力のこもった文章なんて、お金をもらわないと書けない8月半ば過ぎなのです。
それで、「夏 終わり いつ」でgoogle検索したら、「9月23日日曜日」と表示されたので、まだ一か月は夏が続くかもしれません。いや、でもまあお盆(お盆がなにか、そういうのにめっちゃ縁遠い僕はよく分かっていないんですが)が終わったら、だいたい夏が終わっていく感じがあるけど。夏が終わったと思ったら、「終わった」って、また書きます。

野球の実況で、大きく開いていた点差が縮まったときによく「試合が分からなくなりました!」って言うのを聞く。だけど、その時点で分からなくなるということは、分かったと思っていたときには分からなかったことだから、分かったと思っていた推測が間違いだったわけで、その前からずっと試合は分からなかった、試合のことを分かっていなかったということだ。

「リバプール、やってるサッカーも、スカッドもエグイな……でも、中盤から前3枚はいいけど、ただ、バックスがね~。それに、このリーグにはシティっていう化物チームがいるからなあ。」なんていうと、ちょっとサッカーが分かってるっぽいかもしれない。分かってるっぽいだけの、こんなライトなファンでも、プレミアリーグの行方は楽しみ。

なぜ続いているのか分からないが、なんでか続いているから書いている。僕は今、詩が書きたい。嫌なことに対して、それを我慢してしまうことに対して、あるいは脳内にかかった霧。でも、言葉が出てこない。苦しいと「声」が出せないこと、それ自体が苦しい。

僕はけっこう強烈な「フィクションで何を書いてもいい」論者で。よく例に出すけど、『大脱走』は、刑務所からの脱走を肯定しているから駄目、『模範囚物語』を作りなさいみたいなこと、道徳の教科書みたいなストーリーを書きなさいとか言われても困るし。でも、ヘイトスピーチを肯定的に描かれていたら嫌だな、とか、この前書いた(「巻き込んだ風に押されてく」)プロパガンダについても、やっぱり嫌というか、ダメだと思うものはあるわけだし、新興宗教の勧誘や「洗脳」に使われているフィクションに対して、身構えるところはあって。でも、冷静に考えれば絶対ダメな「殺人」を肯定的に描いている作品なんて一杯あるわけでしょ。要するにケースバイケースってことなんだろうけど、それが一番難しい。ポジティブなメッセージならいいかといえば、ポジティブな正義の気持ちで、人が人を殺すこともあるし。