移ろい

ブログ「いらけれ」

目まぐるしい。やっと履歴書が書けたから、次は日記だ。思いもよらないことばかりで、大変だなんて言わない。大方は嬉しい出来事なのだから、この波に乗っていけば良い。未来は明るいと信じれば良い。少なくとも、昨年末よりは進んでいるのだ、この人生ゲームのマス目は。そういえばいつだったか、「フリダシに戻る」のフリダシが振り出し、つまりサイコロを振り始めた地点を指していることに気が付いて、閃いて、ああそうかって思った。それまでのフリダシはフリダシであり、とんねるずのことを「とん+ねる+ず」と捉えていた時のように、振り出しとは手触りの違う言葉だった。

頭を使わないではいられない性質。何もしていないと余計なことを考えてしまうから、スマートフォンで将棋を指し始めてしまうのかもしれない。詰むや詰まざるやを考えるのは、とても苦手なのにね。しかも、それでいて終盤型という矛盾。序中盤が、輪をかけて下手なだけという説は有力。勉強も研究もしてないからなあ。

そうじゃなくて、詰将棋の一手目はどこから来るのか、という話がしたいのだ、僕は。昨日は、このことばかり考えていた。

やったことがない人には分からないかもしれないが、詰将棋を一目見ただけで、なぜか正着がわかってしまう時があって、それは、どこかから答えが降ってくるような感覚だ。もちろん配置された駒から、その先を読まずとも、詰将棋は意外な初手が多いという予想もありつつ、詰みやすそうな手が読み取れているわけだが、言うなればそれは、徐々に身についた能力で、熟練のバット職人が、木を何mm削ったか分かるように、言葉へと還元されない次元で分かっていて、イントロクイズの一音目で曲名が出てくる時のように、正解が出てくる。この不思議さ。

(日常を一目見ただけで、日記が書けるようになりたい)

「笑顔だけではないTWICEの物語。“Feel Special”が歌う痛みと愛」
書かなければならないことが、すべて書かれている素晴らしいコラムだ。読みながら拍手していた。でも、ちょっぴり悔しくて、ずっと紹介できないでいた。
彼女たちのこれまでを、真剣に追いかけきた者でなければ、絶対に書けない文章でありながら、批評性も手放していない。「話は少しズレるが、TWICEのVLIVEは最高だ」というパンチラインもある。
「これぐらい書ける」と、大勢が勘違いしているのが現代で、僕もその一人だった。書いてみればすぐに分かることだ、しかし、本当に書く人は少ない。例えば、アイドルグループのファンを自認している人たちであっても、その中の、おそらく半分程度は知識が不足しているはずだ。それにも増して問題となるのは、大半の人には、文章を書く能力がないということだ。

書ける人が、猛烈に羨ましい。予選で敗退した高校球児が、甲子園を見ている時のような気持ち。そうはなれなかった人生を、こうでしかなかった人生が抱えて、それでも生きていく。仕方がないから頑張ろうと思った。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤