ウイズダム

ブログ「いらけれ」

僕にとって文章を書くことは、とても簡単なことなのだから、書けばいいのに書かない。

「あの日曜日のこと」で、「90年代~00年代に、お笑いファンだった人には、ぜひ聞いてほしい話だ」と書いた羽光さんの一席が配信されてますよー!
自分が感動したものを、こうして共有できることが嬉しい。あと、

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これも、めっちゃ面白く見てしまった……と書くのは、例えば、3月14日の日記「見えすぎる世界」にもあるように、当事者の告白を、在りし日の裏話を、過剰にありがたがる心性に対して僕は、常に警戒しているからだけど、面白いと思ったものを、面白いと書かないという(あなたへの)裏切りはできないから、やっぱり、証言が溢れる時代で、疑いを差し挟むだけの注意深さと、意識の手綱だけは手放さないでくれと言いつつ、知る限りの優れた娯楽を手渡していくよ。

また少し、立場が変わっていく。それまでは、気楽な立ち位置から発信できていたことが、できなくなる。気にし過ぎてやろうという意気込みで、想像上の他者へ向けて、言葉を選んでいく。自制心から、言わないことが増えていく。間違ってしまったことは消せないとしても、それならば一層、正しくあろうと心掛けていく。そういうまともさを、自分に期待する。

養ってくれた親からの期待も、仲良くなった友だちからの期待も、気にかけてくれた先生からの期待も、信頼を寄せてくれた上司からの期待も、あの子からの期待も、結果的にはすべて裏切ってきたから、自己評価が最低なんだって気が付いた今、涙が止まらない。期待するのは自由だから、できないことを期待されて、駄目さに失望されるみたいなことを繰り返す人生だったなと、そのように総括してしまう。勝手な期待と失望の評価に、心を下へと引っ張られてしまっている。

できないことが多いのは昔からだから、この先急に、ある日突然に、デキる人間になるなんてあり得ない。僕が僕について知っていることは、正しさと愛について裏がないということだけで、裏がないことを知っているのは、ずっと僕と一緒にいる僕だけだ。それしかできないという諦めのなかで、ありあまる誠実さだけを携えて僕は、すべての出来事に立ち向かっていった。と、書いた僕に僕が影響されるから、予言は成就する。

とても単純なことでさえ、うまく伝えられない人間のそばに、誰かが居てくれるということが、奇跡ではないとしたら、何が奇跡だろう。奇跡が起きた後の世界を生きている。それを見つけることと、受け取ることさえできれば。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤