昨日は友人とお酒を飲みに行きました。
馬鹿なことを言える相手がいるというのはとても良いことだと思いました。
だから、馬鹿なことを言ってもらえるような人間でありたいと思います。
そして、映画や落語、色々誘いました。そうやって素晴らしいものを手渡していきたいです。
もちろん、手渡してもらえる人でありたいです。
昨日は友人とお酒を飲みに行きました。
馬鹿なことを言える相手がいるというのはとても良いことだと思いました。
だから、馬鹿なことを言ってもらえるような人間でありたいと思います。
そして、映画や落語、色々誘いました。そうやって素晴らしいものを手渡していきたいです。
もちろん、手渡してもらえる人でありたいです。
ふりかえれば星のような風が吹いていたからね
いつものように帰れないからそっと寄り道をしよう
毛玉 – 帰り道 [official music video]
『新しい生活』はとっても良いアルバムです。
サウンドクラウドに他の曲もある(リンク)ので、ぜひ聴いてみてください。
日々の即興性と非即興性(予定調和的日常)を勝手に感じます。
今日しかない今日と、連なる毎日。出来事を日常の中に無意識に取り込んでいること。思い出。
生活から生成された音楽……という言い方であっているのか分かりませんが……。
TOMOVSKY/『都合のいいジャンプ』
www.kget.jp/lyric/212963/都合のいいジャンプ_TOMOVSKY
こういうの一日に書かないところが粋でしょう?
全てが素晴らしいので、引用はしません。
こういうのがあるから、今日も生きています。
6月は過ぎてしまった。
やりたい事がこれからもできるようにって思っています。
僕には未来があるので。
「希望」は、未来とつながる言葉だ。そして、未来をコントロールできると信じる人の言葉だ。
日常の深くに自己啓発が入り込んだ社会。希望を語る人を見ると、構えてしまう。
祈りにも似た望み、小さな願いは、生きていく上で欠かせないものだろう。しかし、人の力の及ばないものはある。変えようもないもの、どうにもならないもの。
大きな希望を語る言葉は、まるで、未来を思い通りにできるかのようだ。すべてが想定内のようだ。
できるなら。
大きなものを意識しながら、かすかな希望をもって生きたい。
そうならないことを楽しみながら、こうなったらいいな思ったり、どうなろうと「そうきたか!」と諦め笑ったりしながら。