ブログ「いらけれ」

人の書いているものを読んで自分のブログの面白みが分からなくなる。面白みなどなかったことが分かる。面白いと勘違いしていたことが分かる。暮れに大掃除をする。11時ぐらいに起きて昼間3時ぐらいまでやる。普段から掃除などしないから汚い。薄汚い。意地汚い。段ボールの中に入れていた物を整理する。大学生のころに使っていた手帳。使っていたことを忘れていた。初めは健康診断や書類提出など予定もあったようだ。それがなくなったら試験の時期だけスケジュールを書き込むようになったらしい。それもグーグルカレンダーに代替されたらしく途中から何も書かれなくなっている。あと英語の参考書のカバー。使いやすいように剝がして使って、本は捨てたらしく本棚にない。フルネームのハンコ。なんでこんなものがとってあるのか。そしてこれは何に使っていたのか。イヤホンのイヤーピース。パソコンやら腕時計やらの保証時期の切れた保証書。

捨てたものもあったし捨てなかったものもあった。あらゆるところに埃は積もっていた。それらを雑巾やウェットティッシュで拭った。物を捨てたし置き場所を少し変えた。箱に入れて整理もした。こうやって部屋を自分のものにしていくが、どうせまた自分が散らかすのだろう。宮本慎也のリストバンド。トランプ。ライブチケットなどと一緒に大学のバスの回数券もあった。渋谷らくご第一回の半券。2014年11月のもの。これはちょうど渋谷らくごのポッドキャストを聞いているときに見つけた。この回に、確かに僕はいた。あの瞬間が耳元で"再生"されていた。

今年の一曲を挙げるとしたらなんだろう。これは音楽ガハハの年末スペシャルを聴いているから考えたこと。やっぱりファンタスティックしほだろうか。今検索したら新しいアルバムをバンドキャンプに上げていたからダウンロードした。終わらない掃除は自分が馬鹿だから。一度で終わらせればいい部屋の行き来を何度もしてしまう。一度にひとつのことしかできない。複数のことができない。先に済ませておかなければならなかった作業を思い出す。手順を間違える。体が上手く動かなすぎて泣けた。

外の風はとてつもなく寒いし、リアルタイムで聞いていた『菊地成孔の粋な夜電波』を、歩きながらもう一度、集中して聞いたら、最後のところでまた泣けて、だいたい夕暮れはいつもきれいだし、でも、川に反射した夕日と鴨を見たら、川の水が一部凍っていたのにはビックリしたよ、だって昼間を経過した夕方なんだから、ところどころ薄いフィルムがかかったような川に、おそらく朝はもっと、信じられないくらい寒かったんだろうし、道路から一段降りた川縁はもっと寒いのだろう、だから、遠く離れた時間と距離が、そこで固まっているんだなって思った。


andymori “1984〜ONLY SSTV EDITION〜"

ファンファーレと熱狂
赤い太陽
5時のサイレン
6時の一番星

ブログ「いらけれ」


手と手、影と影/GOMES THE HITMAN

寄せては還すような時の中で
思い思いの言葉を紡ぐことで
誰かしら誰か傷つけてゆくのなら
僕は黙っているよ

僕らしい新年の挨拶を考えていたら、いつの間にか深夜の二時になっていて、これはいかんということで思考を停止させた。僕の「いじらしいいじましさ」を、多くの人の目に触れてもらうことが一年の目標。ただ、そのためには手段を考えなければいけないし、このままのやり方というわけにもいかないだろう。負荷がかかるということを、どれだけポジティブに捉えられるだろうか。でも、すべては趣味で、やりたくてやっているということを忘れないように。

ああ、そういえば年末に『文化系トークラジオLife』の「文化系大忘年会」の回を聞いて、この曲を思い出していたんだ。各々が、勝手に、傷つかざるをえない現状は間違いなくあって、この時代に若いというのはあまりに苦しいのだろうし、僕は、少しだけ外側の言葉を知っていて、だからど真ん中にはいなくて、みんな苦しそうだなあと思いながら、何も言えずに黙ってしまっていた。

僕は悪くなかったとは思うけれど、良くもなかったのだろう。誰かを救いたいという漠然とした思いを実現し、誰かへの癒しを、誰かの心の中に結晶化するためには、傷を負わせるあらゆる可能性を引き受けなければならないはずで、一歩踏み込んで言葉を紡ぐ必要があって、傷つけることと癒すことは、実はそれほど遠くないはずだから。

だから僕は、これまでとは違う僕になろうと思う。今年もよろしくお願いします(とってつけたようだね)。

夢から覚めるような
そんな言葉を話せたなら

ブログ「いらけれ」

僕の、そしてあなたの2018年がもうすぐ終わる。冷たい風が吹く平成最後の年末に、あなたは何を考えて過ごしているだろうか。僕は、僕が好きな歩道橋の、とりわけ好きな、東村山駅の近くにある線路を跨ぐ歩道橋の上で、写真を撮りながら、今年を振り返っていた。

始まったものも終わったものも、出会いも別れもあった。ポッドキャスト番組をやめたり、その後一人で始めたり。「デモクラシーカフェ」という会に参加したり、「渋谷らくご」に行くのをやめたり、その後また行くようになったり。自分のせいで疎遠になった人もいたし、自分の活動のおかげで出会えた人もいた。出会いはかけがえのないもので、楽しい思いをいっぱいできた。

間違いなく中心にあったのはこのブログだ。これを書くためという心の言い訳で、勇気を出して何かに挑戦することもあったし、就活も本気を出したし、また、記事を読んで反応をくれる人もいて、書き続けてよかったと思った。この年の瀬には、リアルとネット、どちらの人生もまた少し動き始めていて、自分の未来にワクワクしている。しているのだが……。

なぜ、こんなに"くさくさ"しているのか、ということだ。「冷静に考えろ、お前は恵まれている」という脳内ボイスに、なぜこれほどイライラしてしまうのか、という問題が線路上を走っていく。そうだ、運のいい一年だった。しかし、本当にコレでよかったのだろうか?

世界に生きているから、世界に引っ張られてしまう。世界は、僕とは一切の関係なしに、その様相を変えていく。今年話題になったものを思い出してほしい。そのほとんどが感情を刺激するもので、コメントしやすいものではなかったか。すごいから、優れているから売れるのではなく、売れたから、人々が話題にしたからすごいという転倒が起こってしまっているのではないか。すべてのコンテンツが、世に出てすぐに流行るかどうかでジャッジされ、そこで話題にならなかったものは、内容にかかわらず軽視され、忘れ去られていく運命に……というような感覚はないだろうか。

そこないものは(広い意味での)哲学だ。あるいは思想と言い換えてもいい。哲学や思想がないから、数字や金という物差しで判断するのだろうし、その話しかできないのだろう。そうだ、僕の一年にも、哲学や思想はなかった。その時々の情報に踊らされ、状況に流され、正しそうな方について、有利な方について、ただやり過ごしてしまっただけだった。冒頭の写真のように、きれいなだけで、それだけだった。

来年になれば、すぐに自己の哲学が確立できるなどと僕は思わないし、そんなことをしたいとも思わない。だって、そのように簡単に手に入れられるものは、パッと見で正しそうに思えるだけの、インスタントなものでしかないから。自分の足で立つために、名店のシチューが長い時間と手間をかけて煮込むように、ゆっくりと練磨していくことで、そんなことで僕は、僕の理想に近づくのだろうか?

2019年は、胸を張って「生きた」と言える一年になりますように。結果は残らなくとも、意志が生まれた2018年だった。


キミドリ「自己嫌悪」

主義・主張なんて俺はないけど自己だけは確立したいよ

ブログ「いらけれ」

ああ、もうすぐ大晦日ですね。今年は芝浜を聞かないまま終わってしまうなあ。あ、あと今日は大掃除もしなければ。年末のスペシャル番組が、テレビもそうだけどラジオにも増えてきて、嬉しかったり、楽しみにしている番組がなくなって悲しかったり。年末は好きなようなそうでもないような、お正月も好きなようなそうでもないような。人も街も、ちょっと浮かれているところは好きだけど。

誰かのためではなく、ここに小説を生じさせるために、ここで書く。間違った文法で、嘘を書く。

やっと仕事が納まったが、私の知らないところで、また何かが起こっていたようで、修羅修羅している。修羅修羅している現場だから、また問題が起こるということもあり、絵に描いたような悪循環が起こっているわけで、やはり考えなければならないだろう。
お金がないからと慌てて仕事を始めて、お金がないからと嫌々仕事を続けて、いまだ辞めていない。この世に生まれるという宝くじに当たった人は、一等〇億の宝くじが当たったら辞める仕事を続けてはならない。それを分かって、人生を展開しなければならない。来年は、もっと良い気持ちで年末を迎えられたらなと思う。そのためには、今のままではいけないのだから。

夜中に寒波が到来したというトウキョウで、寒さで目が覚める。凍えながら布団を出て、熱いシャワーを浴びて、と言うが、そんなに熱いシャワー、浴びるか?普通。普通のシャワーを浴びて、支度して外へ出かける。いつもより早く行動できていて、少し得した気持ちだ。三文の徳。
青空に白い飛行機。日差しは暖かくて助かる。線路沿いの地面には霜が降りていて、歩くとしゃくしゃくしている。小学生のころも、この小学校へ続く道で霜を踏んで楽しんでいた。楽しかったなあ。今も楽しいから、だからずっと、僕は変わっていないのだ。


「全部自分の思い通りの画になった」多摩川クラシコでの得点シーン。なぜ左足でのラストパスを選択したのか?【中村憲剛インタビュー3/4】

これホント面白い。日本のなかでもトップオブトップの選手が、試合の振り返りを、「誰にでも伝わるように」という、ある種テレビ的なレベルダウンをせずに、仔細かつ本音で語っていて最高だ。僕が、フットボリスタとかに感じている面白さ、つまりインタレスティングな、ということだが、こういう専門的な話をプロが語る場が、ネットで生まれているのは素晴らしいこと。動画だとより分かりやすいしね。「相手DFがクロスしたらいいなと思っていたら、思い通りになった」というところとか、鳥肌が立ったよ。試合のハイライト動画と一緒に見ると、さらに面白いから見てみてね。