戒告
書きづらいことが頭の中にあって、それと目を合わせられないままで、どうしようかと悩んでいるのが今だ。覚えているというのはとても残酷で、忘れてしまって思い出さなければ、人生は揺さぶられない。
実際、目をそらしてきたのだろうか。そんなつもりはなかった。目をそらそうと思ったことはなかった。その出来事が、記憶の水面に浮かび上がらなかったから、沈める必要もなかった。
その日も調子良く歩いていた。鼻歌さえ響かせんとする勢いで。午後5時の街はもう暗い。川を見下ろせる橋の上で、小さな女の子の手をお母さんが引いて、丁度すれ違ったその時に橋の下に目を落とした川は、ほとんど水が流れていない涸れ川だ。
川の脇の道は、線路が上を通っているから、下を潜るように道は坂になっていて、川底と同じ高さにまで行くが、トンネルの灯りが点いていて、降りて通らなければならないはずの自転車が、すごいスピードでそばを通り抜け、イヤホンからはゲストを迎えたトークに花が咲いている。
一番下では、顔を上に向けないと空を見ることができないから、視界の大半を上り坂が埋めて、今上演されている舞台のお知らせが、その内容が怪我をさせられた子の親と、させた子の親が、子ども以上に喧嘩するというものらしい。見てもいない舞台でさえない、そのような場面が容易に想像できた時、それはおかしいと思った。
前日から腹を出して眠っていたが、高熱を出すという夢は叶わなかったので、エレベーターに乗って、アパートの扉の前に着いた時、大人の後ろにいた。出てきた大人に、大人は何かを手渡したが、何かを言って申し出を断った。原因となった体の大きさについて、だからそれを食べるべきなのはそちらではないか、つまり、生の皮肉を初めて聞いた。空気が黒いと思った。
担任ではない誰かから呼び出され、レースのかかったソファーに座って、話し始めると涙が溢れて止まらなかった。ごめんなさいではない。心を占めていたのは恐怖だ。怒られること、そんな直接的な悲劇よりも、もっと何か抽象的な、この先の未来が、崖っぷちに追い込まれるのではないかという恐れ。
加害者の発言は当てにならないが、ふざけていたから仲は良かったはずだ、ただ、少年たちには体格差があり、覆いかぶさるようになったとき、彼の膝に問題が起きた、それでも、大人たちは渡らないけれど、渡らなければならないことになっている歩道橋の階段を二人で上がった、歩道橋の上は二手に分かれていて、いつもはそこでさよならをするのだが、彼の異常な泣き方を見て、家まで送るという提案を断った彼の後ろ姿を見送った。
それからどうして、僕があの部屋に座り、あの扉の前に立つことになったのか、それは大人たちの領分だったから、あずかり知るところではない。僕は怪我をさせた子どもで、怪我をさせてしまった子は、しばらく学校に姿を見せず、そのまま転校してしまったのではなかったか。外気よりも、心の奥が冷たくなる。偶然だとか、悪意はなかったとか、それが本当だったとしても、小さくない影響を一人の人間に与えた。
ここから先を探しても、言葉は無かった。
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