プロセニアム・アーチ
気が向かない。12月になってしまったから、だろうか。カレンダーも最後の一枚になって、何度も画鋲を刺し直した壁の穴は広がっているけれど、重みがないから落ちる気配もない。一年のほとんどを生きた、それ自体は言祝ぐべきことだ。しかし、貯金以外に何をした?何も達成していないじゃないか、と思う。下らない時間だけを重ねた。結局僕は変わらなかった。すべてをやり直したい、いや可能ならば、始まってしまったことを消したい。
世界のどこかには重要な仕事があって、それ以外は無駄である。そのような、ありがちな間違いを消す作業である。つまりは書くこと。皆いずれいなくなるのだから、すべては無駄である。つまりは何を書いても無駄なのだ。だからこそ、なぜ書くのかという理由付けが必要である。ご飯もパンもあるのに、それでも麺を食う理由。辛いなら、苦しいなら書かなければいい。そういった短慮は愛すべきものだ。しかし、浅はかであることに変わりはない。自分との約束に縛られて、自分の首を絞めるように、書く時間の中へと留まらなければ、なぜか息をすることができない。そのようにしてしか生きられない人だけが、何かを書くことができるのだろう。
アンタッチャブル復活の報を聞いて、番組を見て、まず有田哲平という人のことを思った。その関係性の深さを思った。漫才に入っても山崎は、普段とは違うキャラクターを演じていた。彼にはまだ、躊躇いが残っていたのだろうか。柴田が床を叩く姿を待っていた。10年ぶりの漫才だとは思えなかった、とは言わない。二人の漫才はもっとすごいんだと、そう思っているから。ただ、やってる二人が一番楽しんでいるというのは、昔のままだった。『THE MANZAI』では、新しいネタが見られるという。なんと喜ばしい。きっと、あの頃のようなではなく、その先を見せてくれるだろう。止まっていた時計は、動き出したのだから。
もう年齢も年齢で、走れないから守備範囲は狭いし、気分屋でムラがあるからとか、60本打った年だって最下位だったじゃないかとか、いや、来季は外国人枠を外れるから痛いんだとか、そうした計算は理解できる。けれど、あまりにも長い時を、共に過ごしてしまったせいで、どの言葉にも納得ができない。冷静な判断と、熱い思い入れの間に生きるのがファンだ。
いつもじゃないけど、0時から日記更新のライブ配信をしてるから、チェックしてみてね。明日も明後日も、変わらず書き続けていくつもりなんで、暇なときに読んでね。それじゃ12月もよろしく。
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