実人生
もうマジで無理だ、目が乾きすぎてて。いや、そんなことは問題ではない。人間たちの活動が気持ち悪すぎて。頭が悪すぎて、本当にムリ。色々無理なのに、演劇界についての色んな人のツイートを遡って読んでしまった。興味ないのに。パワハラ問題がホットらしい。詳しくは知らない。
久しぶりにリファラースパムのみなさん(つって、背後に人がいるわけはないだろうけど)がいらっしゃって、アクセス数が増大して始まった11月。なりたいわけではないが、ハロウィンで騒げる人々の生い立ちが知りたい。どうしたら、そうなれたのだろう(繰り返すが、なりたいわけではない)。どれだけ頑張っても、野球選手にはなれなかっただろうし、東大には入れなかっただろう。同じように、仮装して渋谷へ行く人にはなれなかったのかもしれない。やっぱり、スワローズファンのようなものが魂に染み込んでいるのかなあと思ったのは、オフィシャルグッズのパーカーがめちゃくちゃかっこいいのでとても欲しい、昨シーズンのチャンピオンであるドリブンズではなく、縁もゆかりもないフェニックスを応援している自分を見つけたからだ。もうちょっとグッズを頑張ってくれれば、サポーターになりかねない。借りてきたバルガス=リョサ『若い小説家に宛てた手紙』が抜群。人生でもトップクラスなので、僕は、買ってしまうに違いない。
つまり、小説を書くというのは一見無害に見えて、その実自由を実践し、聖職者、俗人を問わず自由を抹殺しようとする人たちに対して戦いを挑むひとつの方法なのです。
バルガス=リョサ、木村榮一訳『若い小説家に宛てた手紙』株式会社新潮社、2000年、p.14
つまり、文学の仕事というのは、あの長いサナダムシが宿主の体から養分をとるように、作家の生活を糧にし、そこから養いをとるのです。
前掲書、p.16
フローベルは、「ものを書くのはひとつの生き方である」と言いました。これを言い換えると、ものを書くというのは美しいが、多大の犠牲を強いるものであり、それを仕事として選びとった人は、生きるために書くのではなく、書くために生きるのである、となるでしょう。
前掲書、p.16
もう、神棚を作って飾るしかないな。それか、ツイッターのbotを作るか。botを作ったら、誰かの人生を変えそうなことしか書いてないし、バズりそうだ。バズってたまるかと思うし、これを読めるのは、ビビッときて手に取った人だけの特権だ。あるいは、しがない男の日記を読み続けてきた人へのプレゼントである。正直、これでは引用の条件を満たしていないだろう。ただ、一人の人間が感動した言葉と、その様子は、残しておかなければならないと思った。
世界の暑さに導かれて飛び込んだカフェには二階があって、二階があるということは、階段があった。階段を上った先には、また階段があって、この建物には三階があることが分かる。壁際に設置されている階段は、しかし、壁のようではなかったから、階段の下の空間には、細長い机が置かれていた。机の前には二つの椅子が置かれていて、机の上には三つのコップが置かれていた。左側に座った男が、胸ポケットから取り出したのは、スパイペンだった。彼の前に座っていた僕は、まず、「おお」とやや大袈裟に驚嘆の声を漏らした。彼の説明によれば、書いた文字が消えたり、胴体を回すと指し棒のように伸びたりするという。興味深げな顔を作っていた僕に、極め付きの機能として説明されたのは、ごく小さなボタンを押すと、ペン先の反対、頭の部分が光るというものだった。もし、そこにいたのが別の誰かだったとしても、やはり一度は試してみただろう。「試してみる?」と言われてしまったら。実演販売や試食販売が売っているのは、「申し訳なさ」ではないかと思うことがある。そこでも、同様の「申し訳なさ」が手渡されたのだ。感心した風を装ったからか、彼は、僕が返したペンを満足そうに、再び胸ポケットへ入れた。
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