Act

ブログ「いらけれ」

余裕を獲得できないままに、11月を迎えてしまった。10月の最後の日は、僕に幸運が訪れないままに終わった。リアリティのある悩みだけが残った。家の前の金属の側溝の蓋の下から、聞いたことのない音がしている。水が流れている。

元気のない暮らしには、面白いことなんて一つも起こらないし、起こすつもりもない。橋本治のマンガ評論の本も、『社会学用語図鑑』も買わなかった。買ってもよかったんだろうけど、レジで店員と話すのさえ面倒だった。

終わらせ方だけが分からない。人生も仕事も、日記だってそうだ。ツイッターはやめよう。たまらないから。

例えば、誰かを好きになったとして、それを書く勇気があるのかが分からない。手痛くフラれたりして、そのことを克明に書くことができるだろうか。結局は、何が何だか分かっていないということだ。核心を避けて描かれる日常なんて張りぼてだ。不誠実さが嫌になる。

消してしまえば消えてしまう。消極的に、契約を更新しないだけで見えなくなってしまう。わざわざサイトを持っている理由って何?それなのに、写真の圧縮をしたり、音声データの移設をしたり、少しでもサイトを軽くしようと工夫してしまう。ちまちまと、URLなどを差し替えていたら、生活にリズムが出てきた。落ち込んでいるときには、細々とした作業に没頭するのがいいらしい。

自分が笑われないために、誰かが笑われるように誘導したり、自分が笑われることで、本当の本当に尊厳を傷つけられないように守ったり、それはアナログゲームをやっているようなつもりで、つまり品性が下劣だから、周囲に人がいない。

書かれたものを信じてしまう。とある人物についての評伝を読んだ。そこには、メディアでは悪者にされがちな彼の母親だが、彼女の行動は、彼のことを思ってのことだったと書かれていた。そう書かれているのを読んだ僕は、後に母親が悪者にされた彼のドキュメンタリーを見た時に、真実を知っている人間になった。優越感を覚えていた。本当は、白か黒か真実は分からないというよりも、白でも黒でもないところに真実があるというのに。

スーパースターになるために、いまだ大人になりきれない僕は、リアルに軸足を移そうと思う。とはいえ、手助けしてくれる人は、まだ全然いない。放課後のフットサルで、攻め続けている味方の、その向こうの夕日を見ていた頃から、何一つ変わっちゃいない。更新したグーグルクロームの、タブのところにカーソルを合わせると、サイト名とかが大きく表示されるのがうざったい。メジャーのショートで、ゴールドグラブ賞を受賞した経験のある選手を獲るとかビビる。西浦を独り立ちさせるんじゃなかったのか、そう思っていた人は退団してしまったのか……広岡は、奥村は、宮本は、吉田は、太田は……まあ、サードで出番がありそうな選手もいるけどさ。意外だなあと思った。明日は何かケーキが食べたい。ケーキの夢を見そうだと思いながら眠る。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤