安直な修行

ブログ「いらけれ」

大雨が降っている音が聞こえる。心がざわざわする。

小川監督が今季限りで辞任、宮本ヘッドも退団するというニュースを読んで、そんな時期かあと思う。昨年から、"地獄のキャンプ"を行うなど、継続的に強化を行ってきたなかで、良い結果が出なかったのだから、まあ、しょうがない……とはいえ、編成側も刷新しないと、投手陣は整備できないと思う。
畠山と、館山の引退のニュースも読んで、もうそんな時期なのかあと思う。僕は、彼らのことを応援していたから、その思い入れと思い出だけで泣けてくる。もちろん、彼らは僕のことを知らないが、それでいいと思う。勝手に応援して、勝手に思い入れて、勝手に泣いて……ファンとは、そういうものだから。

ひどくなっている。恐ろしい。

誰もが認めるような素晴らしい勝者は、素晴らしい実力を持ったものが負けることによって、つまり、優れた敗者によって生み出されるのだ、というのは別に、私が発見したことでもないし、斬新な意見でもない。私はそれで、この世界における敗者のいない勝者について考えた。あるいは、勝者のいない敗者について。
私たちは、ときどき勝つだろう。あるいは負ける。敗れる者なくして勝つ、というのはあり得ることなのだろうか。そういう状況が実現したとしても、私たちは満足できないのではないだろうか。敗者の存在を確認できない時、自身が勝利したと認められるのか、納得できるのかという問題。勝つ者なくして敗れるというのは……そういう人ばかりなのではないだろうか。具体的な勝者を設定できなくても、意識のなかで誰かに負けていることになれば、それは負けていると言うべきなのだろうから。
しかし私は、試合ではない世界/社会/人生に、勝ち負けという尺度を持ち込むことを否定しなければならないのだと、主張しなければならない。それこそが、私の信念だから。どれだけ平凡で、退屈で、あまりに理想主義的だとしても。

すこしだけ窓を開けて、網戸の向こうに風。その時はまだ余裕があったのだと知る、現在の異音。

雨が上がって晴れたから出かけたら暑い。どこかで生成され続けているらしい雲は分厚い。夏と台風の気配がそこにあった。ここまででセットアップは完了。僕が書きたいことはその先。
ふらふらした後に入ったいつもの霊園の、いつもとは少し違う道を選んだ。舗装された道路の脇に、大きくて長い芝生の道があって、その向こうに墓が並んでいる。僕は、芝生の上を、サンダルで歩いた。長く伸びた雑草には、乾いていない雨が残っていて、足の甲に当たって気持ちいい。
露だ、と思った。それは、正確な意味ではそうでないとしても、そう思った。そう思ったときに、ただの水滴ではなくなった。一瞬にして、美しいものになった。別の物質になった。
その日の夜から、次の日の朝にかけて、台風が通過していった(そこで降っていたものと、あの露は、同じものではなかった)。僕は、怯えながら日記を書いた。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤