精一杯
面白くないなって思う。面白くないことばかりだ、誰もいない部屋なのに。自分が一番つまらない。そのように感じてしまうのは、何もしてこなかった自分と、何もしていない自分を、自分が一番知っているからだ。そんな人間が書けることなんて、高が知れているって話だ。だから時間とか運命とか、世界とか社会とかをテーブルに乗せて、誰にでも言えるようなことを言って、恥ずかしい。罪深い一人遊び。
ただの日記に、何を期待しているの?って、でも毎日が、それについて書かれた文章が面白くないのは、自分への裏切りだと思う。楽しく生きなければならない。それは、地獄にいることを知って、この先も地獄が続くことが分かって、それでも生きることにした、いつかの自分との約束なのだから。でも毎日が、自分への裏切りになっていると思う。自堕落で寝ぼけて、その場をやり過ごしているから、こんな暮らしが続いているのだろう?
恐らくもう、自分ではどうすることもできない。正確に記すならば、一人ではどうすることもできないだろうということで、誰かに救われることにした。それは、まだ見ぬ誰かなのかもしれないし、すでに見知った間柄の誰かなのかも分からない。単数なのか、複数なのかも分からないけれど、必ず救ってくれるはずだ、その誰かがヒーロー/ヒロイン/アベンジャーズとなって。
こんな後ろ向きな"メン募(メンバー募集)"、かつてあっただろうか、という内容になってしまったが、革命のためなんて、大それたことは言わないから、主に僕を救うために、手を貸してくれる人はいないだろうか。いや、救ってくれなんて厚かましいことも言わない。ただ、話しかけてくれるだけでも勇気になるよ。もし、それならいいよって思ってくれたら、「なんでも箱」というページやメールアドレス、ツイッターから連絡をいただけると幸いだ。
GRAPEVINEの「Chain」が、一々染みてヤバい。
声にならないわずかなエコーを
拾いあげて
こわれそうなそれをどうやって
うたうのだろう
給水塔が高い。いつもは通りすぎてしまうけれど、その団地には"レトロフューチャー"って感じの形状の給水塔があって、ちゃんと見ると、やっぱり高い。子どもの頃から、ユニークな形をしたそれが好きだった。でもその頃は、それが何なのかは知らなかった。給水塔であることを知ったのは、大人になってからだと思う。だから、それを何だか分からないまま好きで、団地に住んでいる友だちの、部屋に辿り着くための目印としていた。あの頃は友だちが多かった。本当に引く手数多だった。誰とでも上手くやれていた。教室の、すべてのグループと仲良くやっている自分を、誇りに思っていた。しかし、自意識の病にかかった時から上手くやることができなくなってしまった。上手くやれたら、こんな暮らしを続けていないのだろうと思う。今よりも友だちが多いだろうし、彼女もいるかもしれない、仕事だって……とても愚かな僕は、変わってしまったけれど、給水塔は変わらない。心が揺れる。
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