今日の夜

ブログ「いらけれ」

8月になってから、そちらはどう?今日は、読んでくれている人(主に僕)へ、語りかけるように書いてみよう。こちらは低調で堪らない。もちろん、度し難い人々の態度に、疲れてしまっているという面もあるよ。誰かのせいで、脅威を感じている誰かに対して僕は、その誰かとは違うと表明することで、誰かの心が少し安らいだりするのだろうか、などと考えなければならない状況が悲しくて辛くて、言葉にならない感じなんだ。

僕を置いていく速さで訪れた夏は、そちらにも同じように訪れたのだろうか。同じ夏。同じ月を見ていたら嬉しい。今日の月はとても細かったけど、僕がそれを見ることになったのは、全力で蝉が鳴く夏のせいだ。

夏には、玄関の扉が重たく感じる。だって、死んじゃうかもしれないって思うぐらい暑いんだもの。ありふれた午後に、ほんの少し外に出るだけでいい。そうすれば僕は、びしょ濡れになることができる。びしょ濡れといえば、夕立も降るじゃん。爆発したみたいな音を立てる雷も恐ろしい。なので、歩く距離がめっきり減ってしまったんだ。歩くことは、僕の体の調子を整えてくれていたし、そこでネタを拾うことも多かったから、だから今、僕は上手く書けなくなってしまったのだろうと、そう思っている。

ここまで遠回りして、日が落ちてから散歩に行ったということを、言いたかっただけなんだ。ひと月前は二時間以上歩けていたのに、今日はたったの一時間で心が折れた。でも、暑さに負けないで外に出た甲斐はあって、爆発みたいな音がしたから、何かと思ってイヤホンを外したら、西武園ゆうえんちの花火だった。

近所の公園は、高台になっているわけでもないのに、とても綺麗に花火が見える。偶然その方角にだけ、高い建物がないのだ。小さな明かりしかなくて、よく顔の見えない人たちが、自転車で集まっていた。僕も、少し離れた場所に座って、短い時間だったけど、花火を眺めた。

前のマンションに住んでいた頃の夏は、エレベーターで最上階まで行って、そこの階段に座って、この花火をよく見たものだ。目の前の花火は、過去とのトンネルになった。まだ自分に、家族に、社会に憂いを持っていなかった僕がそこにいた。

家に帰ったら地図を見て、一人きりになれる穴場スポットを探そう。一人きりでこの花火を眺めたら、あの、憂いのない世界に戻れそうだ。過去に戻ることを夢見る僕は、もう未来に期待をしていないみたいだ。

やっぱり、独り言になってしまった。いつか、本当の爆発音がするようになったとき、思い出されるはずの文章になってしまった。いつだって後悔しているのに、後悔しているときにはもう、すでに取り返しがつかないんだ。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤