2018年11月「デモクラシーCafe@東村山」

ブログ「いらけれ」

今月も「デモクラシーCafe@東村山」に参加してきました(会のブログはこちら)。先日も書きましたが、とても楽しい経験でした。

会のブログにも書かれていますが、今回は「新聞記事を読んで対話する」ということで、「育児風景 動画が論議に」「セーリングW杯 国際連名イルカショー批判 実行委平謝り」「人間とは何か そっくりロボ開発で見えること」という三つの新聞記事から、議題を探すところからスタート。どれも面白そうだったけど、みんなで意見を出し合った結果、ロボットの話をすることに決定しました。

僕は育児の話押しだったんだけど、でも、全然不満なしというか、そもそも、私たちが社会の中で向き合っている問題っていうのがあって、生活の中で気になっていることたくさんがあって、結局どの記事にも、どれを選んでも、興味を持てるテーマを、自分の中で見つけられたのかなと思いました。

ロボットやAIが進歩していった先の人間との関わり、それで幸福になるのかというのが、やはり大きな問題となったわけですが、僕としてはロボットが人間の「他者」となることができるのか、という問題として受け取りました。

本当に進化した彼らは、人間の人間らしさ、つまり犯罪を犯したり、人を殺めてしまうようなエラーを内包していない、完璧な「人間」のような存在となることでしょう。それは、僕が以前から話している「VRジェットコースター問題」(詳しくは「I’m a soldier in the world」を参照のこと)と繋がるのだ、と気づいたときは興奮しました。間違いを起こさない(とされている)絶対安全な「人間」としてのロボットの友人で、私たち人間は満足するのだろうか。それとも、自分を傷付けるかもしれないエラーを含んだ存在としての、本当の人間を求めるのだろうか。

また、もう一つ気になったのは、AIが私たちの幸福を決定するのではないかということ。もうすでに、AmazonやYouTubeで"おすすめ"されたものこそが、AIに教えられる前から自分が欲しかったもの、自分が見たかったものだと感じてしまうこともあると思います。

自分で成長して、中身がブラックボックス化してしまったAIの、しかし、優秀であることが否定できないAIの正答率を、人々が信じるようになったとき、AIが教えてくれる私の幸福、「あなたは朝食にパンを食べることが幸せ」と言われたとき、そちらになびいてしまうのではないか。それは、AIと言われているものが、裏側でサイコロを振っているだけだったとしても、それと気付かずに、信じてしまうのではないかと。だから、AIが進歩していけば人間は幸福になる、それはAIの言葉を、神のお告げのように人間が受け取るようになり、人間の幸福をAIが決定するからだ、なんてことを考えていました。

しかし、これらの意見を、会の中で発言することができなかったのは反省点。もうちょっと勇気を出して、対話に参加していきたいなあと思います。次こそは、会に貢献できるようにって思いました。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤