生きた証

ブログ「いらけれ」

「特別編-対話のボイスメモ#4:ボイスメモを公開する。」
僕のやっているポッドキャスト「ボイスメモを公開する。」の最新回が更新されました。この対談は今回で最終回。次回からどうするかについては、まだ未定です。

制御しきれない体について……。
野球を見ていて、ピッチャーが狙ったところに投げられないということが不思議に思えた。プロになるような選手は、数えきれないほど投球練習をしてきている。しかし、どれだけ繰り返した動作であっても、同じように再現はできない。狙ったところに投げられない。意識の向こうに体があり、それが無意識に、微細に振動している。そしてそれは、制御しきれないものである。
バッターにとっては、むしろ体しかない。あなたはバッターボックスに立ったことがあるだろうか。バッターボックスにおいての意識は、カレーの福神漬けほどの存在である。意識によって、用意、準備、予測はできる。しかし、放たれたボールが迫るなかで仕事をするのは、それも飛びきり勝手にするのは、私の意識の向こうにいる私の体である。
無意識下の体を信用したり、それに裏切られたりするのは、実は日常生活で私たちもやっている(おそらく歩くだけでも)のだが、スポーツにおいてそれが、目の前にせりだしてくる感覚があって、それもスポーツの面白さの一つなのではないかと思った。

「「私がバタバタと、生きた証を残していた。道にあおむけになって、最後にないた。」という感じだろうか、路傍の蝉よ。」とでも思っていそうな顔の男が、側を通り過ぎていった。

こんなブログでも、納得いかなかったり、推敲したりしてるの、まじ笑うっていうか、本当に下らないなってなる。でも、「千文字くらいが読みやすい気がする」とか思案したりしてる。僕は、これからブログをどうするか考えていた。
昔のブログを見返すと、かなり文字数が少なくて、それはその程度しか書けなかった、長く書くことが体質的にできなかったという理由によるのだけど、では、なぜ長く書けるようになったのかというと、それは間違いなくポッドキャストを始めたからだ。
しゃべるという行為には、それ自体に制御しきれない奔放な力が内在していて、しゃべりながら何かアイディアを思いつくこと、それにはどこか「降りてきた」という感覚もあって、とにかく、頭の中の奔流をそのまま口からアウトプットするという経験は、頭の中の奔流を文章にすることができるようになったことと関係があるのだろう。だから、ポッドキャストをやめてはいけないと思うし、せっかく自由にできるようになってきたのだから、ブログは続けていかなければならないとも思う、と書く8月1日に。ああ、どっちもめっちゃ終わりそうだよ。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤