抗生

ブログ「いらけれ」

「まともでいると、気が狂わない?だから、まともだった人はみんな、気が狂ったんじゃない?」

東京都の真ん中のあたりの、埼玉県の近くにある東村山市というところに住んでいる後藤さん(仮名)は、インターネットの普及により、世界中の人々と手軽にコミュニケーションが取れるようになったことで、そのさまざまな活動を通じて、さまざまな連絡を受けるようになった。
性善説なのか、それとも無防備すぎるだけなのか彼は、そうしたコンタクトがあればのこのこと出かけていき、そこで出会った人々に愛を持って、心を開いて、精一杯を差し出してしまうのであった……完。と、世界はできていないわけで、まともでいようと努める彼は、だいたい不義理をされたり、不誠実な対応をされたりして、自分に課せられた人生という重荷に対する絶望の度合いを深め、街を歩きながら、キョロ目で高い建物を探したり、4tトラックに向かってステップを踏んだりしていたよ。

巻き込まれ型主人公としての一生を、そろそろ自覚し始めている僕の頭から、声をかけてきた誰かに心を許して、信頼して、導かれて、そいつのせいで死ぬ、という妄想が離れることはない。いったい誰を信じればいいというのだろう。虐待され続けたことにより、小屋から出られなくなってしまった犬と同じ目で。死んじゃった方がいいのかしら。
それでも僕は、「死んじゃった方がいい」と書く僕が、生と死ならば生に近づいていると知っている。深夜3時まで眠れずに、目を覚ましたら朝の5時で、そこからまんじりともせず、気がついたら11時になっていて、そこからネガティブな内容のメールを書き始めて、怒りや悲しみを文章に溶かしているうちに、すっかり許せるようになって、中身がどんどんポジティブに変わって、書き終えた午後3時には笑顔になっていた。

抑うつ状態と診断された僕は、底まで気分が落ち込むと頭が重たくなり、頭蓋骨のなかに石を詰め込まれたような感覚の頭痛に苛まれるタイプだと判明した。まさしく頭痛派だったというわけだ、笑える。そんな僕が文章を書いて、僕の頭のなかの石を砕く。僕にとって書くとは、大変な解毒作用のある行為なのだ。書くことには意味があり、それは人生の意味につながっているばかりか、その先には世界との関わりがある。世界中の頭のなかの石を砕くために、僕は生まれたのかもしれない、と思う。思い上がりなのは分かっているけれど、この真っ暗な苦しみと、そこに差す一筋の光が、僕一人のためのものではないと、まだ見ぬ誰かを救ってしまうよな奇跡を、今は信じたいのだ……この元気の源は、さっき飲んだ「意欲低下を改善する薬」かもしれないけどね。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤