「鮮やかにときは過ぎ」#2

ブログ「いらけれ」

もうちょっと生きていられそうだと思った。角を曲がった先の道は、大きく沈んだ後に上り坂になっているのが見える。道を曲がったことによって風はこちらに向かって、強く吹いたその瞬間に帽子を飛ばして、飛ばされた私のコメディアンみたいなユニークな動きを、自転車で通りかかったおばさんだけが見ていた。小さな失敗が生み出す、ささやかなユニークを愛していたい。

その道に並ぶ木は、名の分からぬ綺麗な花を付け……いや、これ花水木だって、そう分かる。分かるようになってる。一青窈の「ハナミズキ」は知っていたけど、最近まで、どれが花水木なのか知らなかった。そんで、細馬宏通先生のツイキャスを見たり、柴崎友香さんの日記を読んだりして、近頃は花水木が綺麗だって言っているけれど、そんないっぱい街にあるのかなあ花水木、家の周りで見たことない気がするけどなあと半信半疑で画像検索をして、そこで見た花だった。本当に綺麗で、上を向いて咲いてた(その後、この街に花水木がたくさん咲いていることを知った。あなたも、花水木に注目しながら、その街を散策してみてよ)。

また一つ感動する自分をカウントする。いつの間にか、目の前への解像度が上がっている。それは生きた証だ。ここまで歩いてこなければ、何も知らなかったのだから。生きるから知る、つまり常に過程にある私たちは、この先に待つ素晴らしい感動を知らないからへこたれそうになって、励ましてくれる誰かを必要としているのかもしれない。

白昼の住宅街にどんと立つ大きな教会の上の十字架が天を指差している。なんて思ったのは、最近「泉まくら『いかれたBaby』 – フィッシュマンズcover -」を見たからかもしれない。

そうして辿り着いた家の近くの交差点で、何の気なしに取り出した携帯電話で、懸念していたことが解決した、という風には書きたくなくて、ただ、友だちから連絡が来たと言いたい。その夜に長電話をして、とても楽しかったと伝えたい。真面目に生きていれば良いことがあるというのは信念でしかないから、その通りになることは少ないけれど、私には良いことが起きた。

この日を境に、やけ酒することもなくなったわけで……最初から変な気づかいをせずに、ちゃんと意思疎通を図る努力をしていれば良かった。「辛い思いなんてさせなかった」と、自信満々にカッコつけたいところだが、せいぜい辛さを共有できた可能性がなくはない程度だったとしても……まあ、後悔したところで過去は過去。この今を作った過去に、あの瞬間にだけ出せた勇気と主体性を思い出して、何よりもまず自分のために、「次を決めましょう」と言った声が、少しだけ震えるのが分かった。


小島ケイタニーラブ | はるやすみのよる (Official Music Video)

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤