今日が終わりました
一人でなんとかする難しさ。「仕事だから」という理由だけで書けている文章があって、どうして日記が書き続けられているのが分からない。金になる予定だったのに金にならなかったから依頼主の自分は死んだ。時間つぶしで入った駅の本屋で、フェルナンド・ペソアの『新編 不穏の書、断章』を見つけて、ページをペラペラと捲って、今日も書けそうだと思った。井戸を覗き込んだ時のような感覚が、言葉たちによって実現されていた。買わなかったけど買えばよかった。この程度の、決意や覚悟に満たない何か、偶然の出来事と、それが私に小さな心の動きをもたらすことによって生まれた弱い意志が、少しずつ文章を伸ばしていく。
自分に都合よく編集された日々だ。僕は、弟が作ったサイトを見つけてしまった。そこには日記という体の文章があって、僕のやったことや言ったことが書かれていた。暴露されているみたいで腹が立つ。それに、悪く書きすぎじゃないか。僕を悪者に仕立て上げ、自分を良い人のポジションに置いて。腹いせに、今日から僕も弟のことを書いてやろうと思う。
レミオロメンの曲を聞きながら歩いていることが多い、最近。初期は変な曲調ばかりで楽しいというのもあるが、 何よりも歌詞が変で興味深い。例えば「昭和」の、最後のサビが「海の地平線月が照らし」と始まるところとか。この脱臼した感じが、次の「人の温もりが恋しくなる」に浸食して(両方「○○の○○」で始まっているのは意図的だと思う)、くっついていておかしくない「人」と「温もり」という言葉が、なんだか違って聞こえてきてしまう。ない言葉としての「海の地平線」のように、「人の温もり」なんて、この世にはないのかもしれないと思う。他にも面白い歌詞がいっぱいあるから、いつか、書いてまとめよう。いつか。角を曲がる。
スタッフになった哲学カフェのポスターを貼ってもらうためにコメダ珈琲に行く。コメダ珈琲にそういうスペースがあるって知ると、少し好感度が上がるよね。店員さんは暖かく対応してくれるんだけど、どうしても、どう思われているんだろうと考えてしまう。もやもやしながら店を出てしまうのは卑屈だからだ。この卑屈は生まれつき?少なくとも、不登校になってからこっちはずっと卑屈だ。信号を渡る。
街中にはとても小さな教会があって、貼り紙がしてある。詳しくない私は、日曜日に何が行われているのが知らないが、日付の隣には「偽キリスト、偽預言者」と書いてあった。これに、ピッタリの言葉があるのは分かって、しかし、それが思い浮かばなくて、剣呑という意味なんだけど違って、ずっと悩みながら歩いていたらピンときた。「穏やかじゃないな」だ。階段を降りて、家に着いた。
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