deepdream的なものの面白さは分かるけれど。
ネット文化の性質、ネタ的なコミュニケーションの問題でもあり。
目を引く、一瞬の強さをもつ。
そういうのばかり有難がっても、と思う。
かみごたえがなきゃね。
deepdream的なものの面白さは分かるけれど。
ネット文化の性質、ネタ的なコミュニケーションの問題でもあり。
目を引く、一瞬の強さをもつ。
そういうのばかり有難がっても、と思う。
かみごたえがなきゃね。
芥川賞・直木賞の発表があった翌日、ケータイ小説について考えていた。
そんな大仰なものではなく、ただ、考えていただけなんだけど。
どこへ行ったのか。
携帯電話で(ガラケーで)メールを読むように(それに近い気持ち)読む小説(のようなもの)として理解していたのだけれど、そもそもこれがあっているのか、どうか。
スマートフォン、SNS。だいぶ条件が変わって、文化も変わった。
でも、人はそんなに変わらないと思うが。
TwitterやLINEでのコミュニケーションに全て置き換わったのか、そうでないのか。
ケータイ小説に求められていたものは、いま何に求められているのか。
さっぱり分からない。
きっとまた、あらゆる主張が凡庸なことだけが今いたたまれない。
工夫は、そんなものは無駄だ。
平熱でまとめブログを眺めても、そんなに好きならそれもいいけど。
私は何をする。
怒りはそれこそ凡庸だしなぁ~。
なんとも弾けないなぁ~。
パソコンの前に座って、そしてユーチューブをひらいて、おすすめの動画をみる。
ずっと志ん朝師の落語をきいているから、顔が並んでいる。
じかに観たかった、つよくそう思う。叶わなかった、残念だ。
とはいえ、保存され残っているものがある。
ありがたい。イリーガル。
こんな幸福なことがあっていいのだろうか。
恵まれている。イリーガル。