ブログ「いらけれ」

ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書)をkindleで読んでいる。面白いとかまだそこまで至っていない、まだ初めの方でゆっくりにしか進まない。すぐ寝ちゃうから。
その前は小説の自由 (中公文庫)を読んでいて、すぐ寝ちゃっていた。面白かったけど寝ちゃっていたので、本の内容は関係ない。

エアコンを消して、じっと読んで、眠ると暑くて、夜中に起きる。まんじりともせず朝をむかえて、だから時間をつぶしているのだが、そういえばこの前用事で出かけて、その後映画でもと思ったがまだ先だったので、それまではそれこそ『小説の自由』で時間つぶしをしていたが、ずっと座って画面を見ているのに疲れたから、映画館の近くにある都心の書店に入った。

ブログ「いらけれ」

言い切ることが簡単だということをTwitterとかやってたら実感すると思うんですけど、やっぱそういうことじゃないでしょうといいたいし、後続の発言を誘発することが求められがちな掲示板的なものとかネットはそんなものとはいえ、個人が踏みとどまる頑張りが大事で、今の潔癖症とならず者が竜虎相搏つみたいな現実が変わっていくこと、脳と指先が繋がってるような発言がなくなっていくことが望ましいと思います。

ブログ「いらけれ」

夕暮れ、深夜、夜明けは、それであるだけでマジカルで何か力があるから、それは別の時間帯とは比べられない、だから、馬鹿みたいな言葉で言うならすごい。
そして夜は個人的な性質が強い、個をくっきりさせる、それは夜はみんなと遊ぶものだと思っている人にとっても、夜に働く人にとってもそうだと思う。
静けさが、暗さがそうさせるのか、学校的な時間の経験がそうさせるのか。僕の単なる思い込みでもいい。

人を人たらしめるものがあると思っているとか、親しみを感じるという理由なのか夜を書いた。

でもこれを書いたのは朝だった。

ブログ「いらけれ」

夜に生きるものとしての自負があるから、夜に起きていてもいいと思いがちで、しかし、どこか罪悪感があるから寝ようとするけれど寝れない。ネットに繋がってから余計深刻になった、というか余計に寝なくなった。

様々な思いと事情で暗い中、モニターは、でも別に変わらないようにも思えるが、写るものを魅力的に見せる何かでもある。覚えたもの、好きなものの多くはそこで触れた。

「夜に書いたラブレター、朝になると恥ずかしい」ってよく言うけれど、僕はその恥ずかしいってされているものの方が好きだし、そっちこそ見たいって思う。だって、繕ってないもののその夢中感、面白いに決まっている。