ブログ「いらけれ」

もうちょっと生きていられそうだと思った。角を曲がった先の道は、大きく沈んだ後に上り坂になっているのが見える。道を曲がったことによって風はこちらに向かって、強く吹いたその瞬間に帽子を飛ばして、飛ばされた私のコメディアンみたいなユニークな動きを、自転車で通りかかったおばさんだけが見ていた。小さな失敗が生み出す、ささやかなユニークを愛していたい。

その道に並ぶ木は、名の分からぬ綺麗な花を付け……いや、これ花水木だって、そう分かる。分かるようになってる。一青窈の「ハナミズキ」は知っていたけど、最近まで、どれが花水木なのか知らなかった。そんで、細馬宏通先生のツイキャスを見たり、柴崎友香さんの日記を読んだりして、近頃は花水木が綺麗だって言っているけれど、そんないっぱい街にあるのかなあ花水木、家の周りで見たことない気がするけどなあと半信半疑で画像検索をして、そこで見た花だった。本当に綺麗で、上を向いて咲いてた(その後、この街に花水木がたくさん咲いていることを知った。あなたも、花水木に注目しながら、その街を散策してみてよ)。

また一つ感動する自分をカウントする。いつの間にか、目の前への解像度が上がっている。それは生きた証だ。ここまで歩いてこなければ、何も知らなかったのだから。生きるから知る、つまり常に過程にある私たちは、この先に待つ素晴らしい感動を知らないからへこたれそうになって、励ましてくれる誰かを必要としているのかもしれない。

白昼の住宅街にどんと立つ大きな教会の上の十字架が天を指差している。なんて思ったのは、最近「泉まくら『いかれたBaby』 – フィッシュマンズcover -」を見たからかもしれない。

そうして辿り着いた家の近くの交差点で、何の気なしに取り出した携帯電話で、懸念していたことが解決した、という風には書きたくなくて、ただ、友だちから連絡が来たと言いたい。その夜に長電話をして、とても楽しかったと伝えたい。真面目に生きていれば良いことがあるというのは信念でしかないから、その通りになることは少ないけれど、私には良いことが起きた。

この日を境に、やけ酒することもなくなったわけで……最初から変な気づかいをせずに、ちゃんと意思疎通を図る努力をしていれば良かった。「辛い思いなんてさせなかった」と、自信満々にカッコつけたいところだが、せいぜい辛さを共有できた可能性がなくはない程度だったとしても……まあ、後悔したところで過去は過去。この今を作った過去に、あの瞬間にだけ出せた勇気と主体性を思い出して、何よりもまず自分のために、「次を決めましょう」と言った声が、少しだけ震えるのが分かった。


小島ケイタニーラブ | はるやすみのよる (Official Music Video)

ブログ「いらけれ」


小島ケイタニーラブ | はるやすみのよる (Official Music Video)

連日連夜、酒を飲んでしまうこのうらぶれた生活は、落ち込んだ気持ちから導き出された不正解で、コップのなかのウイスキーが優しければまだ生きていけそうなのに、そんなこともないから余計に辛くなって、胸の痛みを理由にして出かける。

風が強いから木とか気が揺れている。下ばかり向いていたらいけないと思って、顔を上げるとそこには、家の前を掃いているおばさんの羽織るゆったりとしたローブの首元からタトゥーが覗いているその、それまでの暮らしは遥か向こうにあって、考えられるはずもないそれを、小説という形であれば、書くことができるだろうか?

私に、とか考えている私は、東村山駅からまっすぐ伸びる道を、その通りに歩いているのであって、向かっているのは多摩湖だった。緩やかな上り坂は、それと気づかないほど緩やかだ。NHKラジオの聞き逃しを聞いている。聞き逃しを聞くということは……聞き捉えか?

武蔵大和駅の前は、それなりに人が出ていて驚いている私も、その中の一人なのであって、湖までの明確な上り坂でたくさんの人とすれ違って、若干の後悔が頭をもたげるけれど、もう少し頑張れば何とかなるのか?

強い風は後方から吹いていた。広い景色のもたらすヒーリング効果を狙っていた。目の前が開けたら、本当に少しだけ、心が穏やかになった。湖に沿う道を向こうまで、小さな子どもを手すりの上に乗せて写真を撮ろうとしている父親に(怖いことをするなあ)、などと思いながら歩いた。湖の表面に波が立ち、まるでレースゲームの踏むとスピードアップする板の模様だ。それが、前へ前へと進んでいる。自分の足元も、動く歩道のように前へ前へと進んでいるような錯覚がある。前へ進む。

一望できないほど大きな公園の、変な出口から出たら変な道に出て、自分がどこにいるか分からないけれど、おそらくこちらだろうという方向感覚に従って進むと、一年生まで通っていた小学校の前に出て、フェンス越しに見える小学校の校庭は、小学校の校舎から一段低いところにあるのが特徴的で、校舎と校庭の間にはスロープと、小学生にとっては高すぎる壁があって、そうだ、転校する前に開かれたお別れ会の後、雨が降っているのにここに友人たちと飛び出してサッカーをした、あの頃の、幸せそうな私はどこへ行ってしまったのだろう。

見たもの:春風亭一之輔の10日連続落語生配信 第二、三夜/ヨーロッパ企画の生配信 「スーパードンキーヤング DX」リモート反省会、◎暗い旅ポータルを見ていく旅ラジオドラマの灯を消してはいけないピエール瀧【YOUR RECOMMENDATIONS】#3ダースレイダーxプチ鹿島 「#ヒルカラナンデス (仮) 第二回」/◎ShowChuTV 菊地成孔 だれやめナイト 第1回(菊地さんらしい謎仕事だが、とても面白かった)/人文的、あまりに人文的 #009 リクエスト企画「鞄の中」(1)
読んだもの:浅田彰「疫病の年の手紙」
聞いたもの:高橋源一郎の飛ぶ教室「自分だけの答えを見つけよう」、カルチャーラジオ 文学の世界「“遠野物語”を読みとく▽跋扈(ばっこ)する妖怪たち1」

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春休みがもう少し続くから、静かな朝が終わってもまだ眠っていた僕に意識が宿り、消し忘れたテレビが見えた。ニュースは途方も無い悲劇を伝え、風をとるために開けていた窓からは、誰かの拡声器越しの声が、こもっていて聞き取れない。

ただ履いているだけで汚れていくスニーカー。そういうことも分かってくる、生きていれば、いろいろ。十年後には、今の友だちの連絡先さえ知らないなんて、今はまだ知らないけれど。

ファーストフードの固い椅子の上で、行き交う人々を見ている彼の目に映った僕は、そのまま真っすぐ歩けば良いと思ったからそうした。僕たちはいつでも辛かったけれど、それは辛いと思ったり、言えたりする余裕の上にあった。辛いという言葉を知る前に、殺されていった子どもたちではなかった。だから弱音を吐く僕に、弱音を吐かれる僕が冷めた目をしていた。

ささやかな幸福を知り、暮らす二人の物語になるだろう。生まれる前からの仕組みで、学校があって、金があって、政治があって、一人の人間にできることは少ないから、それは二人になっても同じだし、死んだ後も世界はあるだろうし、それでも、未来が減って過去が増えていく今に、できることを考える歌田と荒野の二人組の話を書くだろう。表札の名字は、宇多田ヒカルのなかに歌があることを教え、単純に荒野という名前は格好いいなと思わせた。

規則正しく進んでいくように見せかけているのは音楽で、一定のリズムが、よれた世界のシワを伸ばしてくれる。その時聞いていた曲の、歌詞の本当が分かるのは十年後だった。人生の答え合わせは唐突に訪れる。分からなかった小説が分かる。分からなかった映画が分かる。分からなかった彼女の真意が、唐突に分かってしまって困る。今さら分かったところで、為す術もない。

結局、何だって良いというわけではないのだ。何だって良いのならば、薬物漬けで構わない。苦しみも味わいたい。だからいつだって信念を練り上げている、一歩一歩進むたびに。自分のなかに蓄えておいた言葉と、頭のなかで考え抜いた正しさ。窮地に立たされれば、それしか出てこないのだから。

何だって良いのならば、いくらでも酷いことを言えたし、いくらでも酷いことをできたのに、労って手を差し伸べる自分になりたいと思うためには、人格を陶冶するまでには、長い時間をかけるしかなかったのだから。

私の午睡のなかでは、入ったことのない路地の先に見たことのない団地があり、団地の公園にとても綺麗な藤の花が咲いていた。夢のなかの僕が、それ見ていた。

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読んだもの:矢野利裕「大混乱を招いた「一斉休校」から1カ月半、現役中高教員はどう対応しているか」「「自粛」をめぐって、星野源その他。」「佐々木敦、アイドルにハマる 第2、3、4回」岩城京子「「隔離」と「感染」のデジタル・ドラマトゥルギー──ジルケ・ユイスマンス&ハネス・デレーレ『快適な島』評」大北栄人「退席のススメ」斎藤環「コロナ・ピューリタニズムの懸念」
聞いたもの:熱文字「東京ロリンピックの反応、引っ越しには気を付けろ、長濱博史のおもちゃコーナー」/アトロク「月刊しまおアワー」
見たもの:ヨーロッパ企画の生配信「おうちでイシダカクテル(by こちらヨーロッパ企画福岡支部)」ぷらすと×アクトビラ「#1369 黒澤明入門」ダースレイダーxいとうせいこう「封鎖を突破する言葉!#MDL」

斎藤環の論考を読んで、「どっかで読んだことあるような気がするなあ」と思ったら、あなたはこの日記の立派な読者だと言えるだろう。一面においては、そういうものとしてあるのだ。つまり、一つの真実が先取りされている怪文書として(ちなみに、CPと略されるコロナ・ピューリタニズムというネーミングはPC、ポリティカル・コレクトネスを意識して付けられたものだろう。あの論考を最後まで読んでも、このことに気が付かなかったあなたは赤点!)。

もちろん、これら全部を一日で読んだり見たりできるわけがなく、ここ数日でちまちまとチェックしたやつだ。こんなことやって、何になるんだ気持ちわりい。もう死んじゃえばいいんだという言葉を、不謹慎だという奴は大きな勘違いをしている。俺はいつもそう思って、いつもそう言ってんだから。平時だったら許されるのか?そもそも平時ってなんだ?俺にとっては、毎日が非常事態宣言だ馬鹿野郎。

ホワイトホースを水で割った奴を5杯飲んだらこうなった。配達員から受け取って、部屋まで歩く数メートル、俺はブコウスキーになるんだと考えていたが、これも相当に気持ち悪い話だ。チーズに塩こんぶを乗せて、あてにした。美味いが俺は、塩こん部長と同じ顔をしている。気分が良くなることはない。人生への絶望は今に始まったことではない、馬鹿め。

石の裏で暮らす虫になりたい。しかし、ここは人間界だから諦めなけれればならない。「他者はリスクか?」というテーマを思い付いたのは、「退席のススメ」が炎上しているという話からだ。読んでなかったけど。読んでなかったんかい。つまり、劇場にいるお前らは、俺と同じリアクションを取れということだろう?そこに他者はいない。そう考えている限り他者は、観劇体験を邪魔する者でしかないかと思いきや、同じタイミングで笑い、泣けと思っていたりする傲慢さ。そこに他者はいない、あるいは、いらないのかもしれない。しかし現実的に、俺が面白いと思っている演劇で退席されたら、きっと怒ってしまうだろうな。ここにポイントがある。他者に寛容の銃口を向けるということの。同じような話を、ダースレイダーといとうせいこうがしていたから、聞きたい人は聞けば良い。俺は、「噂だけの世紀末」の最後は「絶対の孤独を、レッツ・ダンス」だ、孤独になれるチャンスなんだという話で、すべてが分かった。引き攣るような孤独を裏返せるのは言葉だけだ、言葉で裏返った孤独だけが、その裏側にある激痛の創造性を知ることができるのだ。

なんでか分かんないけど、やり続けてる俺だけが希望だわ。はあ。そろそろ人生から逃げるために寝るね。