ブログ「いらけれ」

クライマックスシリーズの初戦にヤクルトスワローズが負けて、心がやられてお腹が痛くなっていたのだが、クライマックスシリーズでノーヒットノーランってなんやねん。この試合じゃなくてもいいだろー!!ままま、まー、運もない感じだったし、相手チームに監督解任による士気の高揚があったみたいだし、しょうがないと思っているんだけどね。
考えてみれば、期待の若手がたくさん出てきたわけで、それで2位だったわけで、これからドラフトもあるわけで、なにより去年は96敗だったわけで。来年は厳しいかもしれないが、3年以内に優勝できるような気がするような、そんな戦いぶりを見せてくれただけで、それだけで満足だって、ちょっと訓練されたスワローズファンすぎる気もするけれど。また来年も、応援しますよ。

そういえばこの前飲んだのだった、久しぶりの友人と。最近できた、看板の無い飲み屋に行ってみない?ということで、連れて行ってみたのだった。おすすめだというワインは飲みやすく、創作料理っぽいもの、チーズのジャム漬けとかはおいしかったんだけど、メインであるはずの串焼きは焦げていて、冷めていて、あるものは生っぽくて、あるものは硬くなっていて、正直まずかったので、あれを頼んだのは失敗だったな。

それで、二軒目に行ったときに、友人がある女の子を呼んで、それがすごい人だった。詳細には書けないけれど、タレントになってクイズ番組に出たら売れそうな人だった。
それで、一般的には馬鹿にされがちであろうその女の子から、男がよく使う性的にどぎつい言葉が出てきて、会話のオペレーションの中では笑い話になって処理されていたけれど、少し暗い気持ちになった。内容も、性的な欲望の対象としてだけ、見られるのが嫌だという話だったし。大変なんだなあって思った。自分は、そういうことに関わりのない人生だったから、どうにも分からないところがある。悪意のない人だったので、幸せに暮らしていってほしいなと思った。
また会いましょうと言って別れた、それが実現することはあるのだろうか?

こんな文章が、誰かに届くはずがなかった。そんなことは知っていた。だが事実が、どんどん心を腐らせていく。ひどく世間に対する不満。世界に開いた井戸の底から上を見ている感覚。声は空間に響いて、ひとつも聞かれない。
いつも忘れてしまうけれど、だから、ここから始まるんだ。腐った者が何を書くのか、ということから始まるんだ。そうやって腐りながら書く。腐っていることも、晒しながら。

ブログ「いらけれ」

思想が違っても笑いあうことはできて、でも、それによって悪が正されることもなく温存されるという状況があって、正義のために戦うのは難しい。誰かにぶつけられている憎悪の言葉を、訂正することなく許すように笑った。仲良く話しながら私は、そんなことを思っていた。

WOWOWぷらすとで「渋谷らくご」をやっているのを思い出して、福笑師匠の途中から見る。やはり西には怪物がいるのだなあと思った。そして、トリのきく麿師匠の「だし昆布」がヤバかった。途中からの展開に、笑い死するかと思うほど笑った。なんやねん、その世界観!ってなった。みんなに見て欲しいなあ、あのネタ。あと、最後に小林旭の曲で歌謡ショーを始めたのもヤバかった。ちゃんと似ているというのもおかしかったし。きく麿師匠をもっと見たいと思った。
そうそう、日曜日には友達を連れて、めっちゃ久しぶりにシブラク行きます。生の落語自体久しぶりなので、自分が楽しみというのもあるけど、願いとしては、友達を上手いこと落語ファンにしたいと思っている。そして、いろんな会に連れていきたいというか、連れ立って自分がいろんな会に行きたいと思っている。

『音楽ガハハ』10月12日放送分を聞く。甲本ヒロトを目の前に、自作の妄想を書いたレジュメを朗読するマキタスポーツが面白すぎた。あと、創作秘話として、曲の頭から終わりまでの歌詞が、一気にずるずると出てくるときがあるというのが興味深かった。僕も、ブログに書くことが、脳内に一気に出てきてくれたらいいのに。

街に中華屋がある。街に店が、人もいないのにずっとそこにあり、誰かを待っているということには、とても大きな意義があるのだと、あるときに気付いた。いつもそこにあることで、いつでもそこにいけるということが、誰かの心の安心というか、支えになっていたりするんじゃないだろうか。辛いときとか寂しいときに、ふらっと立ち寄れる場所として、ここを用意しておくこと。僕が死んだらそれまでだけど、それまではなんとか続けたいと思う。毎日開いているあの店のように、僕も毎日店を開こうと思う。

学園祭学園『学園祭学園初期音源集 ユーモラス ・ユーモラス』

「あ、あれは~!あのビルの彼方にそびえ立つあれは~!学園祭学園、学園祭学園じゃないか~!!」…と、いうことで、学園祭学園のアルバムがspotifyにもapplemusicにもあるなんてね~。ビックリした~。名曲ぞろいだし~『逆様の顛末』の曲も入っているし~。とりあえず聞いたらいいよ、みんな~。

ブログ「いらけれ」

誰かの中に確かにあって、どうやっても、何があっても言わなければいけなかったはずの、発話の前にあらかじめ間引かれた言葉。日の目を見ることがなかった。きっとそういうことで、自分の中から大事なものを失って、失ったことも忘れて、知らぬ間に人でなしになっていく。それで年を取って、そのまま忘れて、死ぬ間際に思い出すこともなかった。

プロレスに追われる夢を見るほどに、見なければならないプロレスがたまっている。WWEの通常放送の2番組に加えて、NXTもあるのはこれまで通りだが、メイ・ヤング・クラシックもあるし、ミックスド・マッチ・チャレンジもあるわけで、普通に働いている人はどうやって見ているのだろうという感じだ。
眠い目こすって見ていたが、睡魔に負けて眠ってしまって、起きたら寒かった。寒さで起きたのは、いつ以来だろう。本当に冬が近づいているんだなあ。
とか、悠長なことを言っていられないのだ、僕は。やらなければならないことを、って思いながら、将棋ウォーズで将棋指しちゃう。そうそう、最近スーパープレミアムプランというやつに指導対局が導入されて、なんでも、条件が揃えばネット上でプロと対局できて、指導が受けられるそうだ。へー、と思った。

初めてネットから図書館で借りた本の返却期限の延長をした今日も、小平霊園に歩きに行った。空が灰色だった。墓誌と書かれた黒いものの上に、こともなげに立つ巨大なカラスの口には、お供えものだったはずの、白い落雁のようなものがくわえられている。くわえながらカラスは、その大きさを誇るようで恐ろしかった。イヤホンから、いつか聞いた歌が流れた。倒されている木には張り紙がくっついていて、外来種だから伐採作業をしているのだそうだ。僕が生まれてからずっと、そんなことのために切り倒されることもなく、そこに生えていた木が。

結局、革命的なことを言うというか、私の作った新しいビジネスモデルで、それで新しい時代が来るのだ的なことを言う人の、大体の商売が、内容の無いものを売るっていうのはどういうことなんだい?価値のないものをあえて作って、それを手に入れることが良いことなんだという雰囲気を作って、信者がまんまと盛り上げて、それで本当に話題になって、既成事実になっていく。
価値のないものを売る、っていうのはさ、制作のコスト、手間もお金もかからないし、資本主義的には最高なんだろうけど、つまるところ詐欺じゃん?しっかりしろよ、みんな!って気持ちだよ。

ブログ「いらけれ」

毎日、毎日やる気でねーって言っている気がする毎日。楽してお金持ちになるか、有名人になるかしたいなあ。努力しないで報われたいなあ。見えているものは面白いし、予定もいっぱいあるのに、劇的なことは何もないなあ。しょんぼり。
立川吉笑さんが、「SHIBA-HAMA ラジオ」で一つの企みを成功させていて、裏番組のオリラジ中田氏にツイートが届いているのとかを見ると、うっうわーってなって、すっすごいなあって思って、自分も啓発されたようになる。『カメラを止めるな!』の上田監督のインタビューも好きでよく読んでいて、それでも同じ気持ちになることが多い。失敗する気で何かを動かさないと、どうにもならないんだ。だから、またなんかしよう俺。

一つの動きとして、「対話のボイスメモ」の続編を収録するために、お相手をお願いして、承諾をいただいて、お話ししてきた。2時間半、僕みたいな奴との会話に付き合っていただいて、本当にありがたかった。あと、時間読みを間違えて、開始予定時間に提供されたナポリタンを食うのを、前で待っていただいたのも(笑)。内容はすごいと思う。客のほとんどいない喫茶店で、非常に真面目な話をしているので。かなり、聞きごたえがあるでしょう。もうすぐ公開すると思うのでお楽しみに!

駅前にずっとあった地方銀行が潰れたのは知っていた。張り紙を見たからね。そんで今日、アルバイトの求人を見ていたら、ドラッグストアのオープニングスタッフを募集していて、場所が、どう考えても銀行のところ。普通じゃんって思う?でも、道を挟んで隣の隣が、ばっちり別のドラッグストアなのよね。ドラッグストア戦争が起きるのだろうか、大丈夫かなあ、どっちの店舗も。(こうして書かれたコレが何を意味しているのか、あなたはいつか分かるだろう)

自分にいいところなんて、数えるくらいどころか、ほとんどないし、「誇れるものは何ひとつ持ってねー」@『ばかやろう』って感じだから、だから誰にも見向きもされない人生なのは分かっていて、それでも、あえてでも書くけれど、僕の言葉には、裏に悪意が込められてない、他意がきっぱりとないところが美点だなと思った。含みがないとも言えて、面白みっていうのがないのかもしれないけれど、とにかく目の前の誰かに対して話す言葉が、すべて単純にその通りなのだ。自分の言葉から逃げ出したくなるほどに、本当のことしか言わない自分が、やはり少しはグッドだなと思う。いつまでもこのままでいられるように、そのようにいたいと思う。