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ブログ「いらけれ」

「お天道様が見ている」という言葉を思い浮かべていた。ここで言うお天道様は、私たちの無意識が意識する規範、つまり道徳を教える大きな存在(していない存在。神)だ。現代の社会に暮らす人々は、相互に監視をしながら生きていると、読む人も現代に生きているから書く必要はない。互いの逸脱を牽制し合う社会において、私たちの規範となるのは私たちである。端的に言えば、隣人の顔色を窺っているということだ。だから、私にとって彼/彼女らがお天道様だ、ということまでは直感的に思い付くが、それは同時に、彼/彼女らにとって私がお天道様なのだ、というところが見えにくい。しかし、増長した人々が尊大に振る舞う姿を思い浮かべれば、人々は、自身が他者のお天道様であることを無意識的に掴み、マジ神だと思って生きている可能性があるのではないだろうか。午前3時。

2月13日の日付がついている日記に書くのもなんだが、昨日はバレンタインデーだった。そんな兄を哀れに思った妹からの、お情けチョコレートがリビングの机の上にポツンと置いてあって、お兄ちゃんは情けなくて泣いた。嗚咽を漏らした。ウチの会社では、去年から義理チョコレートが禁止されたそうだが、禁止される以前からお兄ちゃんはチョコレートを貰えていなかったんだよ、ぐすん。恐ろしく嫌われているのだろう。蛇蝎のごとく。ヘビとサソリだぞ。僕が何をしたって言うんだ。
そう語る男の目を機械が覆っており、中にチョコレートがあった。午前4時。

しゃれにならない感じになってきていて、どうしようかな。まあ、どうにかなるだろうと高を括って生きてしまうから、将来に光が見えないのだろうな、多分。丁寧に生きなければならない、本当は。これはいつかの、誰かのツイートで、僕のものではないと明記しておかなければ盗んだことになるから、そう書いておくけれど、人間の関係というものは、ああ急に大上段に振りかぶってしまって恥ずかしいが、それは、目に見えて壊れる方が稀で、知らず知らずの内に、誰かの心の内で扉が閉まって、終わってしまうものだ(と読んだ)。自分を振り返ってみてもそうだ。わざわざ嫌味を言いたくないし、喧嘩をするのも嫌だから、そっと扉を閉める。その決定的な瞬間は、第三者には伝わるもので、「ああこの人、扉閉められてるなあ」と思う時、閉められたその人だけが気付いていない。人間とはそういうものだ、自分のことになると途端に視野が狭くなり、周りが見えなくなる。僕は、誰に扉を閉められてしまったのだろうか……全然分からないけれど、居直ることだけはしないようにしたい。寝る。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤