デカいイメージ

ブログ「いらけれ」

日記を書くぞ、書くぞう……という気合がなければ、日記を書くことができない。もう無理だ、そうやって諦めるのは簡単で、毎日のように書いている方がおかしい。頭のおかしい方が、僕にとっては正しい。他人の心を動かそうと思うのならば、おかしいぐらいのことをしなければならない。

絶賛作業中なのである。同人誌である。自分の書いた小説を読み返さなければならなくて辛い。本当に……こいつは何を考えているんだ(何も考えていないに違いない)。しかし、泥団子も磨けば光る、という諺はないけれど、あの輝きを目指してブラッシュアップ中である。一人だったら折れていただろう。同人というのは得がたいものであり、ありがたいものである。
今日は、本のサイズ感を確認するために、コンビニのプリンターを使って印刷してみた。設定の都合上、「ちょっと小さめ」に印刷されてしまった(原稿が切れないための工夫らしい)のだが、出てきた紙を手に取ってみると、これは本当に本になるなあという実感が満ち満ちてきて、元気が出た。小説らしさを獲得していた。内容ではなく形式なのだなあ、小説の本質は。
ここで一つ、皆様にお尋ねしたいことがあるのです。この日記の文章で、何か覚えているものや、印象に残っているものはございませんでしょうか。ございませんか、そうですか。じゃあ嘘でもいいです。何でもいいんで、何か書いてください。同人誌を作る際に、参考にさせていただきます(スペシャルサンクスでお名前を載せちゃうかも!?)。よろしくお願いいたします。

その上、スタッフになった哲学カフェのサイト作りを手伝うことになったので忙しい。ワードプレスを前に、試行錯誤という名の右往左往をするのには慣れているので、それはまあ大丈夫(時間を作るためにも、やはり仕事はやめなければならないね)。ただ、この話題が出た時に「僕、サイト作ったことありますよ」と話したら、どんなサイト作っているか見せてほしいと言われたのだが、めちゃくちゃ照れて「勘弁してください」と断ってしまったのは、覚悟ができてないんだなと思った。恥ずかしいと思うものを公開してはいけない。いや、違う。(自分が良いと思って)公開したものについて、恥ずかしがってはいけない。これは、同人誌を作る上でも同じことが言えるだろう。

幼い頃から常に比較されていた私よりも頭一つ大きい兄は、とても無口な人だった。雪の降る日に出掛けて、手をつないで帰ったもう片方の手には、カレーに使う人参やじゃがいもといった野菜と、キャラメルの箱が一つだけ入ったビニール袋が握られていた。開かれなかった兄の口から、時折白い息が漏れたのは、田園調布のアップダウンが激しかったからだ。疲れてしまったその時の私は大きな背中におぶさっていたけれど、二十年後には、兄の生活が私の肩にかかるようになっていた。兄は相変わらず、開かれないドアの向こうで、無口だ。

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Posted by 後藤