20191225

ブログ「いらけれ」

『ジョーカー』の感想が聞きたい人(なんていないことは知っている)には申し訳ないんだけど、席に着いた瞬間に爆睡してしまい、気が付いたら真っ暗なスクリーンの前に一人だったので、一秒も見ていないんだ。
だから、これは想像に過ぎないんだけど、始まる前、後ろの方でイチャイチャしているカップルがいて、(そういう映画ではない気が……)と心配していたら、終わった時には静かになっていたから、おそらく、そういう映画だったのだろう。
見ていないけれど、いくら僕が馬鹿だとしても、ロバート・デ・ニーロが出ている意味は分かる。しかし、その他の映画のパロディや引用については、分からないから黙るしかない。あと、実はかなり人種の問題が内包されていて、その側面から語ることもできる映画だと思ったのだが、知識がないから黙るしかない。資格がない。それに、虚実の被膜的な仕掛けが読みを誘う訳だけれども、完璧に手のひらの上という感じで、すごい出来の良い映画だったなあという夢を見た。出生からしてフェイク、というような。しかし、すべてが因果応報的に、相手が先に悪いことをしたのが悪い、と観客に思わせて、感情移入させる作りはずるくない?そりゃ勘違いしてしまう人も出てきちゃうだろ、と寝ていた。
もし仮に、僕が『ジョーカー』について文章を書くのならば、ストライキと街に溢れるゴミから始めるだろう。本編を見ていないのに映画評を読み(聞き)漁ったら、僕の目の届く範囲にはそういう批評がなかったら。それから笑いの話に展開する予定。そもそも書く予定がない。
コメディアンになろうと思ったアーサー。突発的に笑い出してしまう症状。口に指を入れて、口角を上げる姿。ジェームズランゲ説を思い出す。あまりにもひどいジョークは、フィクションの中に織り込むしかないのだろうか。そのジョークを心から笑うことのできないアーサーは、確かにずれている、しかし、正しいようにも思える。
ホアキン・フェニックスがすごいという話は、誰が見てもすごいと思うはずだから、する必要もないのだろうが、やはりあの走り方は忘れられない。「気持ち悪い」とか「気味が悪い」を体現する、あの動き。そう思わずにはいられなかった私たちは、気まずい思いをすることになる。僕はしなかった。見なかったから。
ぐっすり眠って、すっきりした頭で映画館を出て、そのまま、クリスマスイブの街を歩いて地下鉄に乗ったら。そこで三人組の証券マンが女の人に絡んでいたから、僕は笑った。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤